帯広市 

 

帯広競馬場に来ました。

 

この日はばんえい競馬開催日ではなく、訪問した場所は正確には競馬場ではなく隣接した「とかちむら」というエリアです。

 

 

 

入場料無料の「馬の資料館」に入りました。

 

 

哺乳類の中では馬はスピードと持久力のバランスに最も優れた動物であり、飼いならすことも可能です。

動燃機関が普及するまでは生活に欠かせないものだったと思われます。

 

 

 

 

 

 

 

先日のパリオリンピックのときに名前を聞いたバロン西の展示が。

 

馬具など馬に関連した道具。

 

蹄鉄打ちは資格がいる重要な仕事でした。

馬が車の代わりだと考えると、今の車両整備士のような仕事でしょうか。

 

米の値段と比較するとかなり高い気がします。

 

鼻に棒を入れてねじっておとなしくさせたそうです。

馬が「痛い!」と感じておとなしくなるのではなく、鼻をねじることで脳内物質エンドルフィンが出ておとなしくなるとのこと。

 

蹄鉄は17世紀にオランダから長崎に伝わりましたが、江戸時代にはあまり普及しなかったそうです。

一般化したのは明治以降でしょうか?

 

蹄は人間で言えば常時つま先立ちの状態で、早く走れるように陸上短距離選手のようなつま先立ち状態に進化したそうです。

 

 

日本の洋式競馬(円周を走る)は1861年にイギリス人が横浜で行ったのが最初です。

 

 

ばんえい競馬は戦後の1949年に旭川、帯広で始まったので、歴史はそれほど古くありません。

かつては道内各地で開催されていましたが、現在は帯広のみです。

「ばんえい」はこういう字を書きますが、PC辞書では変換しません。

 

青森で見た馬ぞりと比べて長さが短く、横幅があります。

青森が担架とすれば、これは荷車の感じです。

 

 

2階もありましたが、こちらにはそれほど見たい展示がありませんでした。

 

 

 

「帯広百年記念館」まで車で移動しました。

 

市街地なのに自然がいっぱいで、駐車場でリスを見ました。

 

キャッシュレス非対応のため、入場料380円を現金払い。

 

 

十勝開拓は「晩成社」という民間組織が明治時代に入植したのが最初です。

 

 

「晩成社」は常に赤字経営で1932年に解散しましたが、「花咲か爺さんの犬の役目を果たした」というのはその通りだと思います。

 

 

入植者は北陸、東北からが多かったとのこと。

昨日訪問した帯広市の幸福駅は福井からの入植者が多かったことに由来します。

 

かつては監獄があり、囚人が開拓作業に従事させられました。

 

 

ストーブは鍋の大きさに合わせて上部のわっかを段階的に外して使用します。

「ポツンと一軒家」で時々見るしくみです。

 

家で囲炉裏を使用するため、掛け時計はどれもすすけています。

 

 

 

プラスチックがない時代は藁でいろいろなものを作りました。

 

冬が長い地方のため小学校の運動会は6月、遠足は5月と7月に3年生以上が7里(28km!)の距離を歩いたそうです。

 

メンコはやはり非公認グッズでした。

 

 

 

 

 

洋式の農耕具は明治30年代以降、トラクターは昭和30年代以降に普及し、農耕馬は急速に減少しました。

 

 

 

 

国内のビート(甜菜=サトウダイコン)は全て北海道産。

 

 

酪農が急激に伸びたのは昭和30年代後半くらいからですね。
おそらく冷蔵庫や冷蔵輸送の普及と同じだと思います。

 

 

 

水稲収穫量は意外にも昭和初期がピークです。

寒冷地で育てるよりも、輸送手段が発達したらよそから運んでくればいいですからね。

 

砂糖はサトウキビから作られると思っていたら、国内では8割がビートから作られているそうで、これは最も意外でした。

 

 

 

近年になって小麦の生産量が急激に伸びています。

大麦は麦飯、えん麦は馬用飼料のため、急激に廃れたそうです。

 

大豆の輸入は年々増えましたが、国産大豆の生産量は横ばいを保っています。

醤油や豆腐でも国産大豆を売りにしているものがあり、安定したニーズがあるのでしょう。

 

壁に掲示されているものは透明ケースに入った実物の豆です。

豆にも多くの種類があるのだと実感しました。

 

 

12時半前に「帯広百年記念館」を出て、次は豚丼を食べに行きました。