荘境石シリーズの後半を再開する前に、今年の旅ネタを挟みつつ好字二字令について書いてみたい。


(1)地名は漢字2文字
東京も大阪も殆どの県名、地名は2文字である。他方で、アスカ村を飛鳥/明日香どちらで表記するのが正しいのか、自信がないことも多い。旧国名であるオウミも同じだが、これは近淡海より近江の方がしっくりくる。

 

別の例を挙げてみよう。紀伊国屋書店の「伊」は不思議な存在だ。音としては「木」でも「紀」でも1文字だけあれば事足りる。和泉も「泉」一語で十分ではないのか。一例を挙げると、泉佐野市は「和」が付いていない。

 

(2)かつての三文字地名

逆に3文字で表記していた国名が2文字に圧縮された例もある。「波伯吉」が「伯耆」に変わったものなどだ。また、ここ1年くらい気になっている若狭湾に近い遠敷(おにゅう)も好字二字令前の漢字(小丹生)ならまあなんとか読むことができるので2文字万能かと言えばそうとも言い切れない。

※参考:7月の伯耆大山

 

3月に上州武尊山に登った後でJR高崎駅で途中下車したら上野三碑を宣伝していた。時間がなくて先送りしたけど、そのメインが多胡碑だ。711年頃に建てられたものであり、好字二字令と同時代のものである。埼玉県のヤマを歩いていると渡来人ゆかりの街(飯能や日高)があり、それが群馬県にも続いているのだと分かる。この上野国ももとは上毛野国で3文字だ。

※参考:3月の上州武尊

 

 

(3)好字二字令とは
良い意味を持つ2文字で表記しましょう、と言う713年の法律がその理由になっているようだ。硬い説明はそのまま転記しておく。このサイトには豊富な例が載っている。


======
時は元明天皇の御世、和銅6年(713年)5月に発せられた勅令である。それまで旧国名、郡名や、郷名(郷は現在で言うと町村ほどの大きさ)の表記の多くは、大和言葉に漢字を当てたもので、漢字の当て方も一定しないということが多かった。そこで地名の表記を統一しようということで発せられたのが好字二字令である。さらに、漢字を当てる際にはできるだけ好字(良い意味の字。佳字ともいう)を用いることになった。適用範囲は郡郷だけではなく、小地名や山川湖沼にも及んだとされる。
======
※出典
https://dic.nicovideo.jp/a/%E8%AB%B8%E5%9B%BD%E9%83%A1%E9%83%B7%E5%90%8D%E8%91%97%E5%A5%BD%E5%AD%97%E4%BB%A4
 

倭と大和については以下参照。
======
中国では日本のことを「倭」と呼んでいました。なぜそう呼ばれたのか、これも確かなことはわかりませんが、この字は本来「なよなよしている」「従順な」といった意味ですから、当時の中国人は日本人に対して、そんなイメージを持っていたのかもしれません。……(中略)……
やがて日本人は、自分たちを表すのに「倭(ワ)」と同音で、もっといい意味を持った「和(ワ)」という漢字を用いるようになります。その結果、「和=やまと」となり、今度は「和」が「やまと」と訓読みされることになりました。
その後、さらに「和」に「大」を付けた「大和」が誕生します。この場合の「大」は美称のようなもので、「立派なやまと」とでもいったところでしょうか。別に「立派でないやまと」があるわけではなく、「大」に本質的な意味はないのです。そこで、「大和」の2文字をまとめて「やまと」と読むようになりました。

======
※出典
https://kanjibunka.com/kanji-faq/old-faq/q0362/
 

九州で豊国が豊前と豊後に、火の国が肥前と肥後に分かれている。「前」や「後」が好字とは言えないけど、これらも二字化と関係ありそうだ。

 

他にも、熊本の「熊」と球磨川の「球磨」など同じ音なのに漢字表現が2つ存在するのはここが由縁なのかも知れない。都内でも多摩川の「多摩」、多磨霊園の「多磨」、玉川上水の「玉」など混乱しそうな表現は多く、深追いは避けよう。

 

(4)黍と吉備と吉美
「きび」の音からは直ぐにキビ団子の吉備(岡山県)を想像してしまう。吉美については荘境石ブログで後述する。


ちなみにキビ団子の桃太郎伝説は関東や中部にも残っている。山梨県大月市(今月号のヤマケイに岩殿山が載っている)のことは前から知っていたが、2025年になって愛知県犬山市にも同様の伝説があり、しかも桃太郎神社まであるのだと知った。ただ、この日は継鹿尾山に登るのが目的だったので桃太郎神社はスルーしてしまった。

※参考(山梨県大月市)

 

<名鉄犬山遊園駅、桃太郎神社の手前> ※2025.5

 

 

(5)粟と阿波と安房
阿波(徳島県)と安房(千葉県南部)など古代の地名は文字数が少ないので似通ってしまうことはありそうだ。どちらも粟なのか。もしかして淡路島の呼称も都から阿波国に続く道(路)があるから淡路島という音になったのかも知れない。もちろん裏どりできていないし、根拠のない推測に過ぎない。


面白いと思うのは、キビにせよアワにせよ都の近くと遠方で同じ音を用いていること。漢字を分けることで2つのアワを固有の呼称にしてくれる効果もありそうだ。
 

(6)福岡県糸島市
2025年11月に初めての福岡県で糸島市を訪れた。ここでも面白い地名を知った。志摩と言えば反射的に伊勢志摩を連想するが、福岡県にも志摩と言う地名があった。どちらも島ではないが、沿岸部が複雑に入り組んでいて、ヤマに登ってみると複数の島が浮かんでいるように見えた。


<立石山から見た芥屋> ※2025.11

 

また、糸島のイトは邪馬台国に出てくる伊都国があったことに由来するもので、怡土と書いた時期もあるようだ。それが、21世紀の合併でイトとシマが1つの自治体になる。伊都志摩市、怡土志摩市もあり得たのだろうが、2文字にまとめて糸島市になった。これは21世紀に好字二字令を再活用した例と言うべきなのかも知れない。


======
もともとは怡土(いと)郡と志摩(しま)郡に分かれていましたが、1896年の郡制に基づき、両郡を合併させて糸島郡となりました。
現在の糸島の位置関係で見ると、怡土郡は南側の山側。志摩郡は北側の海側に位置しています。糸島の名前の由来となった名称は両群の名前を繋げたものだったのですね。
旧郡名の由来については不明ですが、怡土(いと)については弥生時代にその存在が魏志倭人伝に記述される伊都国(いとこく)との類似性が地理上と音韻上の両面から類似しています。志摩(しま)についても島との音韻上の一致していますね。

======
※出典
https://meets-itoshima.com/post-478/
 

漢字の「糸」の上半分が志摩エリアの海岸線と似ているのもまた面白い。こうなると「糸」の字が単なるアテ字と軽く見られることもない。


<JR筑前前原駅にて> ※2025.11

 

(7)遠江国に見る好字二字令

1つは渕と敷智、もう1つは黍と吉美だ。渕と敷智については以下ブログで触れた。と言うかあるネット資料(以下リンク参照)を読んでいてこの「好字二字令」を知ったというのがホントのところ。後者については「新居の荘境石」シリーズに戻って書くことにしたい。

※参考(渕は敷智)

 

漢字2文字でも複数の表記が存在するのはどんな理由によるものなのか、これも謎だ。NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の井伊氏でも井伊谷に渭伊神社があり、歴史的な変遷がありそうだ。

======

東日本域のものが二つだけある。

(13) 渭伊(遠江・引佐) 高山寺本に〈為以〉、大東急本に〈井以〉

(14) 都宇(越後・頚城) 高山寺本に〈豆宇〉、郷名は大東急本

======

※出典

https://japanknowledge.com/articles/blogjournal/howtoread/entry.html?entryid=11

※参考(井伊谷)

 

 

(8)まだ他にもありそう
福井県~新潟県は日本海に沿って越前、越中、越後とコシの国が続く。かつて中越地震が発生した時に山古志村の被災状況が報道されていたが、「高志」や「古志」は「越」と同じ音になる。


現在の愛知県豊田市はトヨタ自動車のトヨタだが、元は拳母(ころも)と書く地名だった。これは難読文字だが、きっと一文字の衣ではダメなんだろう。

※参考(衣は挙母)