半年近く前、東京のとある病院で、シャントの閉塞を契機に透析の継続を拒否した40代の女性が、途中で透析再開を希望したが、そのまま透析が行われず最終的には死亡してしまったという報道があった。

 
まだ日本の地方病院に勤務していた頃、心臓血管外科医として働いていたため、腎臓内科の先生より新規透析導入になりそうな患者さんや、すでに透析をおこなっているがシャントトラブルで透析ができなくなった患者さんを多く紹介されていた。たしか年間で200例以上のシャント関連の治療を行なっていたと思う。
 
その中で、透析をしたくない、続けたくないと訴える患者さんは定期的にいた。
 
もちろん、「はい、そうですか。」と彼らの希望を受け入れシャント造設やシャント再建を断った患者さんは1人もいない。
理由は明快。状況にもよるが透析をしないとその人たちは数週間から数ヶ月以内に死んでしまうからだ(体が徐々にむくみ、息苦しくなり、老廃物も溜まっていくため穏やかな最期にはならない)。
 
自分が唯一、透析をしないことを認めるとしたら、すでに意識がなく、透析をする・しないに関わらず1週間も生きれる望みがないような患者さんのみだろう(もちろん、ご家族に透析を行なった場合、行わなかった場合、それぞれどういった経過をたどるか説明し、その結果希望されなかった場合になるが)。
 
我々医療従事者は、時として人の命を左右することができる状況にあるが、決してそれは、人の寿命を決定していいということではない。
医療従事者の仕事は人の命を助けることにあり、不幸にして助けることができないときは、苦痛を最小限にし、できるだけ穏やかに最期を迎えることができるように手助けをすることにあると考える。
 
透析導入が必要となったある高齢者について書かれた論文を見つけた。
担当医においては日々の仕事に追われ、大変な毎日を過ごしているとは思うが、全ての症例において、このような形で患者さん介入ができれば素晴らしいと思った。