
みなさんは最後を迎えるとき、どこで迎えたいですか?
自分の家。
思い出の場所。
病院。
思い出の場所。
病院。
平成17年1月、その人は、胸部大動脈瘤に対して人工血管置換術を受けた。
術後、合併症の1つである左反回神経麻痺が起こってることが分かった。
声がかすれ、誤嚥するようになっていた。
もともと、肝不全、腎不全がある方だったので、治療も難しく、リハビリも長期化した。
術後、合併症の1つである左反回神経麻痺が起こってることが分かった。
声がかすれ、誤嚥するようになっていた。
もともと、肝不全、腎不全がある方だったので、治療も難しく、リハビリも長期化した。
大学に入院して半年が過ぎた頃、リハビリ目的で自宅近くの病院へ転院。
入院生活が長くなったストレスと、なんとか自宅に帰れるくらいの状態にまでなったので12月末に自宅退院となった。
入院生活が長くなったストレスと、なんとか自宅に帰れるくらいの状態にまでなったので12月末に自宅退院となった。
嚥下障害はだいぶ改善したものの、まだ液体は飲めない状態。
自宅では大好きだったお酒を、液体を固める粉薬を使って飲んだと聞いた。
自宅では大好きだったお酒を、液体を固める粉薬を使って飲んだと聞いた。
彼が大学病院を訪れたのは平成18年の1月末。
鼻血が止まらないということで耳鼻科の外来を受診した。
そのついでということで心臓血管外科の外来も受診された。
鼻血が止まらないということで耳鼻科の外来を受診した。
そのついでということで心臓血管外科の外来も受診された。
久しぶりにあった彼は元気そうだった。
ただ、両足を中心に体がむくんでいて、レントゲンをとると左胸に水が貯まっていた。
しばらく病院にかかってなかったとのことだったので、現在の状態を診るために入院となった。
ただ、両足を中心に体がむくんでいて、レントゲンをとると左胸に水が貯まっていた。
しばらく病院にかかってなかったとのことだったので、現在の状態を診るために入院となった。
最初の診断は、
腎不全からくる全身のむくみ
もしくは
家に戻って運動量が増えたことによる心不全からくる全身のむくみ。
もしくは
家に戻って運動量が増えたことによる心不全からくる全身のむくみ。
どちらにしろ、しばらく安静にして、おしっこをだす治療が必要と判断した。
おしっこを出す薬に対する反応はよくみるみるむくみは改善。
おしっこを出す薬に対する反応はよくみるみるむくみは改善。
入院して1週間が過ぎた頃、突然、38度台の熱が出始めた。
はっきりとした原因は結局わからないまま。
おそらく、誤嚥性肺炎から菌血症になったものと考えられた。
はっきりとした原因は結局わからないまま。
おそらく、誤嚥性肺炎から菌血症になったものと考えられた。
それからが早かった。
急速に肝機能、腎機能が悪化。
おしっこがでなくなり、透析が必要となった。
急速に肝機能、腎機能が悪化。
おしっこがでなくなり、透析が必要となった。
3月を過ぎた頃。
腎不全はなんとか透析で対応。
ただ、肝不全の悪化は止める事ができなかった。
全身状態は見る間に悪くなっていった。
腎不全はなんとか透析で対応。
ただ、肝不全の悪化は止める事ができなかった。
全身状態は見る間に悪くなっていった。
家族にいつ急変してもおかしくないという説明をたびたびするようになった頃。
家族から少しでもいいから自宅に連れて帰りたいとの申し出があった。
家族から少しでもいいから自宅に連れて帰りたいとの申し出があった。
血圧も不安定。
痰がからむとなかなか吐き出せない。
窒息の危険も高い。
中心静脈栄養をしていて、点滴は抜く事ができない。
貧血の進行が早く、たびたび輸血が必要。
月・水・金と透析をしないといけない。
痰がからむとなかなか吐き出せない。
窒息の危険も高い。
中心静脈栄養をしていて、点滴は抜く事ができない。
貧血の進行が早く、たびたび輸血が必要。
月・水・金と透析をしないといけない。
いろいろと問題点はあったが、今の全身状態を考えると、家に帰るチャンスは今回を逃すともうないと思えた。
そこで、透析が終わった金曜の夕方から翌日土曜まで外泊することになった。
もちろん、いつ急変してもおかしくないという覚悟の上で。
ちょっとでもおかしいと思ったらすぐに救急車で帰ってくるという約束をして。
そこで、透析が終わった金曜の夕方から翌日土曜まで外泊することになった。
もちろん、いつ急変してもおかしくないという覚悟の上で。
ちょっとでもおかしいと思ったらすぐに救急車で帰ってくるという約束をして。
自宅に戻った後の彼はとてもいきいきとしていたそうだ。
「特に問題もなく過ごせている。」
家族に電話をすると、こちらの心配をよそにそんな答えが返ってきた。
金曜の夜は、自分は大学の当直をしていた。
救急車の音を聞くたびに何かあったのでは?とひやひやした。
「特に問題もなく過ごせている。」
家族に電話をすると、こちらの心配をよそにそんな答えが返ってきた。
金曜の夜は、自分は大学の当直をしていた。
救急車の音を聞くたびに何かあったのでは?とひやひやした。
翌日、昼過ぎには仕事が終わった。
ちょうど、息子さんが次の分の点滴を取りに来ていたので、一度、自分が様子を見に行くことになった。
ちょうど、息子さんが次の分の点滴を取りに来ていたので、一度、自分が様子を見に行くことになった。
自宅にいる彼は、病院よりはいきいきとしていた。
診察した印象でも特に大きな問題はなさそうだ。
そこで家族からの提案。
診察した印象でも特に大きな問題はなさそうだ。
そこで家族からの提案。
もう1泊させてあげたい。
断る理由はどこにもなかった。
危険性が高まることを説明し、何かあったらすぐに帰ってくる事を条件に日曜の夕方まで外泊することになった。
危険性が高まることを説明し、何かあったらすぐに帰ってくる事を条件に日曜の夕方まで外泊することになった。
さすがに、2泊は体にこたえたのか。
それとも満足できたのか。
病院に戻ってきた彼から自宅に戻りたいとの訴えはなくなった。
それとも満足できたのか。
病院に戻ってきた彼から自宅に戻りたいとの訴えはなくなった。
それから10日後。
家族に見守られながら、彼の呼吸はゆっくりと止まった。
それから数分後、彼の鼓動もしずかに止まった。
家族に見守られながら、彼の呼吸はゆっくりと止まった。
それから数分後、彼の鼓動もしずかに止まった。
彼の部屋からは桜の花が見えた。
ちょうど去年の今頃、花見をしながら酒を呑みたいという彼の希望をかなえたくて。
あの手、この手を考えてたことを思い出した。
ちょうど去年の今頃、花見をしながら酒を呑みたいという彼の希望をかなえたくて。
あの手、この手を考えてたことを思い出した。
みなさんは最後を迎えるとき、どこで迎えたいですか?
自分の家。
思い出の場所。
病院。
思い出の場所。
病院。
そんなことを考えさせられました。