(あじさいや はなをたばにし とうのかげ)
三十三間堂で有名な、御白河上皇の法住寺殿のあった所です。
木曽義仲が攻めた法住寺合戦で、
御白河上皇の身代わりになった不動明王です。
赤穂浪士の大石蔵之介が山科に隠棲していた時に、
法住寺の身代わり不動明王に大願成就の祈願をしています。
近くの来迎院の僧卓厳と親戚で、寺請証文を発行してもらい
山科に居を構えしばしば来迎院に来ています。
藩の再興を模索しつつ、吉良邸討ち入りも視野に入れていた時ですネ!
荼枳尼天は真言宗の寺院でよく見かけますが、
法住寺は天台宗です。
仁王さんの後ろに、天狗、辨財天、
左の方の二体が浅学で分かりません‥‥。
龍宮門も京都市内では珍しく、
古知谷、転法輪寺、長建寺、石峰寺などが思い浮かびます。
親鸞上人そば喰い像や赤穂浪士四十七士像があります。
護摩壇が庭園の一部にのように整備されています。
忠臣蔵の、主君に代わって命に変えて恨みを晴らすという
忠義を尽くす事は、現代人にとってほど遠い感覚ですね。
振り返って忠義を尽くす事がなかった自分ですが、
忠義を尽くす人に巡り合わなかったのは、少し寂しいような ‥‥‥。