(はるうらら いっきはかなたへ にしのおか)
徳政一揆勢力の代表格的存在が、西岡被官衆で、
彼らが集合した場所が向日神社です。
上桂・桂・川島・下津林・寺戸・牛ヶ瀬・久世・大藪・築山の
桂川西部に蟠踞する小領主達の地域連合体で、
戦国大名にとっても侮りがたい存在でした。
本殿(重文)は、応永29年(1422年)の再建ですので、
徳政一揆など様々な歴史を経てきていますね。
神変大菩薩(役小角)が祀られています。
要塞も兼ねられる丘の上ですが、境内は広く、
多勢が集まるのに適しています。
神社に奉納して結束を図り、此処から京へ出動しました。
西岡36人衆には、物集女氏・神足氏・中小路氏・革嶋氏・小野氏・鶏冠井氏
竹田氏・野田氏・能勢氏・寺戸氏・秋山氏・山口氏などが知られています。
北条早雲・斉藤道三・松永久秀などの戦国時代の名将は、
西岡と関係が深いとされています。
西岡は、秦氏の築いた桂川からの用水路が
経済的豊かさの基盤になっています。
徳政一揆、山城国一揆・応仁の乱、三好長慶、織田信長、細川藤孝と、
歴史の荒波の真っ只中を突き進んで来ました。