(ていとくの あゆみにわかば じざいみち)
松永貞徳の「雪月花の三庭園」は、
雪の庭が妙満寺、月の庭が清水寺、花の庭が北野天満宮で、
それぞれの塔頭寺院「成就院」に作庭されました。
妙満寺の岩倉移転にともない、寺町二条から現在地に
「雪の庭」も移されました。
昭和43年に、石組みをそのまま移してきた枯山水庭園です。
雪月花は、白居易の詩「殷協律(いんけいりつ)に寄す」に一節で、
「雪月花時最憶君」(雪月花の時、最も君を憶う)から取られています。
殷協律は江南地方の杭州での部下の名で、彼を懐かしむ漢詩です。
四季折々、楽しかった頃を懐かしく思い出すと言う事ですネ。
雪月花の三庭園は、それぞれ
比叡山の雪景色、東山の月、北野の梅を愛でる庭です。
松永貞徳は、里村紹巴から連歌、九条稙通・細川幽斎から和歌、
菊亭晴季・中院通勝・飛鳥井雅春等50人余りから
古典学の指導を受けています。
又、林羅山・木下長嘯子らとも、親交を深めていました。
学んだ和歌や古典を庶民層にも講義し、人々を啓蒙します。
和歌の道への入口として、俳諧を庶民に広げ、
貞門俳諧には多くの弟子が集まりました。
古典文学の底辺を広げた事績は、高く評価するべきですね。
貞徳の弟子の北村季吟に師事したのが、
和歌への道筋の俳諧に、芸術性を持たせた句聖「松尾芭蕉」です。
真新しい廊下ですが、途中のトイレもキレイです!