(さみどりに しゃでんとそまる よきひかな)
上桂を開拓した人々が太田神を祭り、
平安時代以降の御霊信仰の影響を受け、伊予親王を合祀しました。
太田神は猿田彦大神の子孫ですが、此処に祀られている経緯は分かりません。
伊予親王は無実の罪で川原寺に幽閉され、
母(吉子)と共に自害します。
平城天皇は、親子の怨霊に苦しんで体調を崩し、
弟の嵯峨天皇に譲位します。
母子は六所御霊神の中の二柱です。
早良親王・伊予親王・藤原夫人・橘逸勢・文室宮田麻呂・藤原広嗣
恐ろしい祟りを為す神々ですが、
手厚く祀ると強い味方になると信じられ、御霊信仰が広がります。
火雷神のお陰で、上桂では大火事が起こらないそうです。
結構、迫力のある狛犬さんです。
三ノ宮神社・三十番神社・談山神社・厳島神社・八幡宮・植松神社・春日神社
村の人達が、それぞれの神に何を期待したのか、
どんな時代背景があったのか、興味深いですね。
開運長寿・難病治癒の霊験があるそうです。
織部灯籠はキリシタン灯籠とも言われますが、
古田織部にそんな意図は無かったと思います。
茶庭の露地に据える灯籠として、高さ調節がしやすかったのでしょう。
竿の耳のような膨らみも、縄が掛かりやすそうです。
地面に突き刺して立てていますので、移動の事を考えれば合理的です。
竿の上部の記号のような文字、
これについてのしっかりした解説には、行き当たっていません。
これが、ラテン語或いはヘブライ語として、
キリシタンに結びつける説があるようです。
興味深い所ですが、難しいですね。
竿の下にマリア像を刻み、隠れキリシタンが礼拝した事になっていますが、
話しとしては面白いですが、実際の信者の方が、灯籠を礼拝したとは思えません。
織部灯籠をキリシタン灯籠と呼び、隠れキリシタンと結びつける、
さもありなんというニーズに対応して発展した……?
織部独特の、「破調の美」の発想から出た意匠なのでしょうね。
「沢瀉(おもだか)に水」が神紋のようです。