(ゆきしぐれ じょうどへのみち ひらかれし)
粟生(あお)の光明寺の参道です。
法然上人が、粟生の里人との約束を守り、最初に浄土宗の教えを説いた所です。
入り口の手前の方に、「浄土門根元地」の石碑が建っています。
比叡山他、旧仏教勢力から法然の遺骸が狙われ、東山から西へ逃れて来たところ、
石棺から光明が放たれ、光の指し示された場所が粟生でした。
女坂と呼ばれるゆるやかな参道です。
敷き詰められている石は、粟生の人達が近くの小畑川から運んだものです。
中に法然上人が母から送られた手紙が貼り付けてある、法然上人像が祀られています。
左に説法をする上人像、右に袈裟掛けの松が有ります。
圓光大師御石棺の碑 柵の中に菩薩様が見えます。
石碑は贔屓(ひいき)が背負ってます。
贔屓は、龍生九子と言って、九匹の龍の子の一匹です。
九匹の子は、誰も龍には成れませんでした、個性豊かな子供達でした。
贔屓君は、難しい漢字を読むのが好きなのと、重い物を持ち上げるのが得意です。
それならと言う訳で、石碑を持ち上げる役を担っています。
役者などを持ち上げる事を、贔屓するは、贔屓君の事です。
法然上人は勢至菩薩扱いなので、誰かが柵の中に
勢至菩薩像をおまつりされたのでしょうね。
御影堂と廊下で繋がる阿弥陀堂です。 可愛いお地蔵様です。
ボトルに小さな千羽鶴がギッシリ入っていました。(どなたかの真剣な祈りです)
法然上人の火葬塚です。勢至菩薩像が祀られています。
この参道は紅葉の季節に、必ず訪れたい所の一つです。