自由に生きることは案外難しい
日本はこれまで高度成長期の60年代を経験し、人口はどんどん増えて、経済の規模が拡大していく時代が長く続いていた。成長のベクトルは常に上を向いていたし、製造業を中心にあらゆる業種、業界で、人々は明日に向って突き進んでいた。給料は毎年上昇し、がむしゃらに、愚直に、ひとつのことだけをやっていれば、順調に課長、部長などのポストは用意され、定年になれば、会社から奉公のお礼とも言わんばかりに多額の退職金を受け取ることが出来た。息子からは尊敬のまなざしを向けられ、孫にはお受験のための費用まで捻出することができ、悠々自適な年金生活が待っていたのだ。ここには個々人の意志は組織で反映されることはなかっただろうし、また必要ともされていなかった。
60年代には学生運動が活発化して、マルクス主義が広く普及した。資本主義制度に強く反対し、大企業に就職することは、何やら資本主義の犬になりさがるような風潮まであったようだ。ジョージ・オーウェルは著書『1984』でビックブラザーの世界を描き、全体主義国家を痛撃した。全体主義国家では国民は1人の大きなリーダーの思想を受け継ぎ、日々がむしゃらに、目の前のゴールに向って走っていれば幸せが約束されたのだ。
日本の大企業は「根性と成長」を合言葉に、多くの学生を囲い込んだり、教育を行なったりすることによって、個性を剥ぎ取り、1人の立派なソルジャーになることを強要した。でもそこで働く人々は希望に満ち溢れ、何の疑問も持たずに、明るい未来を夢見てひたすら仕事に打ち込んでいたのだ。こうした行動を冷ややかに「社畜」と呼ぶ人もいたけれど。
バブル崩壊やリーマン・ショック以降、誰も彼もが「この国には希望がない」と口を揃えて憤慨している。そこには早期退職を求められたり、課長や部長職のポストにつけない中年社員達の大きな犠牲をだしながら。それから企業はこれまでの方針であった「よりよい集団の1人になること」から「優れた個人になること」という正反対のスローガンを掲げ直して何事もなかったかのように突き進んでいる。
僕はこれから求められる人材は「創造力を兼ね備えたリーダー」だと思っている。時代は「個人主義」に移行しつつあるけれど、個人単体のレベルでは専門性は全然足りないし、あまり有益ではない。だからきっと、もっと中間層的な「小集団(チーム)」を中心に組織は形成されていくだろう。つまり、個人としての高い能力が求められ、尚且つ意思決定の責任も負わないといけないリーダーになることを強いられるのだ。こうした方針や機能システムが正しいかどうかは分からないけれど、望むと望まざるとに関わらず、僕らは時代に沿って歩んでいったり、時代を先読みしながら生活しないといけない。そうしないと社会で生き残っていくことが出来ないからだ。
最近「就活ビジネス」も盛んだ。エントリーシートの書き方や面接の方法などを指導する塾ができたり、ツイッター、フェイスブックなどのSNSツールを通じた情報合戦もしきりに行なわれている。「これをやらないと一流企業に就職できない」と学生達の不安を利用したビジネスも山のようにでてきている。でも「創造力を兼ね備えたリーダー」を一朝一夕で形成することはできない。長期的な教育が必要なのだ。
近年ますます男女共学の学校が増加しているようだ。でも僕は男女別学を推進することによって、未来の「創造力を兼ね備えたリーダー」を生み出すことが可能になるのではないかと思うのだ。教育と就職を一緒くたにするなと批判はあるかもしれないけれど、企業に余裕がなくなってしまったし、今や親が就職活動の説明会に訪れる時代になったわけだから、「教育=就職」と考えてもそれほど問題はないのではないだろうか。
男女別学が日本で少なくなったのは、戦後、GHQの指導の下、公立学校の男女共学化が進められてきたからだ。男女別学のメリットは様々点でもたらせられる。中井俊巳は著書『なぜ男女別学は子供を伸ばすのか』で論理的にデータを検証し、男女別学の良さを示している。
例えば『最近は「草食系男子」「肉食系女子」と言われるように男子よりも活発な女子が目立つようになりましたが。皆が皆そうではなく、依然としておとなしく控えめな女子も多いのは事実です。とはいえ、実際にリーダーとしての役割を与えれば、伸びていく要素を持っている女子も少なくありません。けれども、共学にいるとその特性を生かすチャンスに恵まれにくいという面があるのは否めません。その点、女子高ではリーダー的役割を男子に頼ることも譲ることもなくなります。…略…女子もリーダーとしての企画・運営力を養えるのです。…略…「草食系男子」と言われる、優しいけれど、どこかひよわな男子が増えています…略…男子高の中には、知力だけでなく気力・体力などを意識的に向上させ、たくましい男子を育てようとする学校があります』
帰国子女はとりわけ一流企業に入社するケースが多い。それは学歴や語学面で有利なことも当然あるけれど、きっとそれだけではない。彼らは自由という空間で生き延びてきた強い精神力があるからに違いない。礼儀作法などに関してはお世辞にも褒められたものではないけれど、グループの中で「個性」を活かす力や技能は高い。海外の授業はグループワークを頻繁に行ない、意思決定能力や個人の能力形成を自然に学ばせる。だからこそ「格差社会」で高い能力が求められる現代においてさえも、成功している人が多いのだろう。
僕は教育の専門家でもなければ、能力も人より優れているわけではないから、本ブログで書いたことは、あまりに基本的で、専門家はもちろん、ビジネスの現場で活躍する人達から見ると「今更そんなの当たり前だ」と思われるかもしれない。だけど、その一方で自己啓発や就職ビジネスが賑わっているのもまた事実だ。高度成長期には会社と国家に依存しながら、がむしゃらに毎日を送ればそれで何も問題はなかった。だけど、給料は上がらない、解雇はされるかもしれない、国家だっていつギリシャのようになるか分からない時代になったいま、誰もが世界市場と共存していく術を見つけないといけないのだ。「自由」って一体なんだろう。
参考文献