昭和20(1945)年3月10日未明。墨田区を中心とした東京の下町地区に米軍のB29が飛来し、焼夷弾と云う市街地を無差別に焼き払うための油の入った爆弾を投下し、一日に十万人の市民が焼死し百万人の住居が焼き払われました。
日本人は今だに、戦後、進駐軍や左翼によって植え付けられた自虐史感によって、日本人が悪いんだ、だから二度と過ちを犯さない・・・だなどと云っている。
だけどちょっと待ってくれ。日本人の一般市民は悪者で、何か過ちを犯したのか?
過ちを犯したのは、東京の下町に住む一般市民を無差別に焼き殺した米軍だろ?
戦争ってのは、武装した軍隊と軍隊が戦うものです。武装していない一般市民を殺すのは殺人であって、戦争とは別のものです。何故殺人者を裁かないのか?
その殺人者を放置しているから、今だに米軍は殺人行為を合法化して殺人を続けている。嘘つきの米国大統領がノーベル平和賞を与えられている。殺人者であっても武力によってノーベル平和賞が貰えるインチキな社会。藪さんから云わせたら茶番だね。
8年前の3月11日に大地震があり、また津波で2万人近くの方が亡くなりました。でもそれは自然災害であり、防ぎようがないんです。でも74年前の3月10日に行われた、地震の5倍にも及ぶ一般市民が殺された殺人事件をなんで放置するのか?
テレビでは八年前の震災に付いての、何を云いたいんだか判らない意味不明な、ただ悲しいと云うだけの番組を放送しているが、藪さんはそんな何も表現していないと思われる番組は見たくない。だって地震や津波に文句云ってもしょうがない。そんな番組を放送する時間があるなら、何故日本の民間人を無差別に殺した米軍の糾弾をしないんだ!
地震や津波の被害と云うのは自然災害であり、人間にはどうしようもないでしょ? でも殺人行為は人災です。ルーズベルト大統領は東京大空襲の虐殺の翌月の4月に死んだ。藪さんはそれは神の天罰だと思ってる。
しかしこのアメブロって、どうやったら記事を書く画面に入れるのかがよく判らないのが問題だ。「記事を書く」と云うボタンは一番上の目立つところに置くべきでしょ?
どうでもいいCMバナーがベタベタと貼ってあって、イライラしてしょうがない。百点満点で云うなら、ヤフーブログは60点だけど、アメブロは10点以下だね。
装着カメラと云うのは、ウェアラブル・カメラ(wearable camera=着込めるカメラ)を藪さんが勝手にそう訳しました。つまり、カメラを手で持って動画を撮影するのではなくて、スキーのストックや自転車のハンドルやヘルメットや、あらゆるところに装着して手放しで動画を撮影できちゃう、超小型で高性能なムービーカメラの事を云います。
従来は自分がスキーや自転車を漕ぎながら景色を撮影するには、一旦止まって撮影しなくてはなりませんでした。でも装着カメラなら両手放しで撮影できるので、スポーツをしながら動画撮影をする事が可能になりました。
テレビのバラエティ番組などを見ると、出川などのリアクション・タレントなどの個人の動きを撮影するのに、GoPro(ゴープロ)と云う、煙草のショートピースの箱よりも小さい動画カメラが多用されてます。
って事で、足が痛くて10メートルくらいしか歩けない今の藪さんは、足に負担の掛からない電チャリなら移動できるので天気も良かったし、GoProをチェストマウント(ソニーのキットで胸に装着)して、ゆっくり小石川植物園一周の撮影をしました。
9分半の動画であまりにも長いので、アフレコをしながらカット編集をしようかと思ったのですが、チューハイ飲んで眠くなっちゃったので、編集を断念しました。ただ電チャリを漕いで小石川植物園を一周しているだけの詰らない動画です。適当に早送りしてご覧下さい(^ω^)
https://www.youtube.com/watch?v=IN7lVLHeTsA
撮影データ・・・平成27(2015)年3月2日(月)午後一時過ぎ 文京区小石川植物園
作詞=西條八十 作曲=中山晋平 昭和4(1929)年てんてん手鞠 てん手鞠 てんてん手鞠の 手がそれて
どこから どこまでとんでった 垣根をこえて 屋根こえて
おもての通りへ とんでった とんでった
おもての行列 なんじゃいな 紀州の殿さま お国入り
金紋 先箱 供ぞろい お駕籠のそばには ひげやっこ
毛槍をふりふり やっこらさのやっこらさ
てんてん手鞠は てんころり はずんでおかごの 屋根のうえ
「もしもし 紀州のお殿さま あなたのお国の みかん山
わたしに 見させて下さいな 下さいな」
お駕籠はゆきます 東海道 東海道は 松並木
とまり とまりで 日がくれて 一年たっても 戻りゃせぬ
三年たっても 戻りゃせぬ 戻りゃせぬ
てんてん手鞠は 殿さまに だかれて はるばる 旅をして
紀州はよい国 日のひかり 山のみかんに なったげな
赤いみかんに なったげな なったげな
この歌は、西條八十・中山晋平のコンビが昭和4年、「東京行進曲」の後に発表したものです。鞠つき遊びやお手玉遊びなどの時に歌われる童謡だと思いますが、歌われている内容をご存知の方は少ないでしょうね。私もこの記事を書くのに調べるまでは知りませんでした。
内容は、八代将軍 吉宗公(紀州徳川家)が江戸から紀州へお国入りする途中か、あるいは、その他の時代の紀州の殿様が江戸詰めからお国入りする行列だったのか・・・
江戸市中の子供の手鞠が垣根を越える事はあるかも知れませんが、屋根を越えると云うのは・・・いかがなものか? 江戸時代の子供が遊んだ鞠と云うのは、ゴムで出来ていた訳ではありません。竹を薄くそいだもので球体を作り、その上に糸を巻いたものです。屋根を越えるほどバウンドしないはずです。スーパーボールでもなければ屋根を越えるほどバウンドしません。
まあ、それはさて置き・・・その鞠が事もあろうに、殿様のお駕籠の屋根の上に乗った。無礼者! そこへ直れ! あいすみませんでございます。なにしろあいつは、親類から預かっている愚かな者でございまして、あいつの目を見て下さい。馬鹿な目をしているでしょ? あれは、馬鹿目と申しまして、おつけの実にするしかない・・・いけね、いつの間にか火焔太鼓になっちゃった

そこはそれ、童謡の事とて誰もその鞠を見てなかったらしく、その後も側用人に咎められる事無く、紀州まで行っちゃった。いや待てよ。五番の歌詞に「殿様に抱かれて」とあるから、途中で紀州公が気が付いて、鞠を屋根から降ろして抱いて紀州まで旅したんですね。そして、何とあろう事か摩訶不思議・・・鞠は紀州の赤いみかんになったとさ・・・めでたし、めでたし
