ブロンプトンで走った直後にハンターカブで走る(その2) | 旅はブロンプトンをつれて

旅はブロンプトンをつれて

ブロンプトンを活用した旅の提案

(前回からの続き)

高校生で原付の運転免許を取得し、それまで行けなかった場所へも足を延ばせるようになりました。

往復自転車で走るには、1日100㎞走るとしても、片道50㎞が限界です。

ということは、自転車で行った先で何かするとかゆっくりするということは考えられず、目的地に到達する以前、すなわち往路を走っている最中から「帰りはどうしよう」という不安が付きまとっていました。

こんな調子ですから、目的地に着いたら「時間がないからすぐ帰る」という具合に、行った事実だけが残るという感じでした。

これは今、もし輪行を考えない自転車旅をしていても、同じことだと思います。

実際に多摩川サイクリングコースをさかのぼっていったさきの羽村取水堰では、休憩もほどほどに帰途に就くサイクリストをたくさん見かけました。

対して自分は、ここまで来たのだからもうひと踏ん張りして青梅なり、御嶽なり、あわよくば奥多摩まで走ってしまおう、なにせ帰りは電車なのだからと思えます。

それが高校生の時に原付バイクに変わったとたん、片道100㎞以上の距離がある山梨県や群馬県まで日帰りで行けるようになったのですから、私は楽しくて仕方ありませんでした。

なかでも、もっとも劇的だったのは、自転車では登れない坂道を登れるようになったことです。

私はそれまで憧れていてもゆけなかった、埼玉長野県境にある三国峠や、その先の長野山梨県境にある大弛峠、或いは、当時は一般車両に解放されていた南アルプス林道の広河原など、オフロードバイクでなければ行けない場所に好んで行きました。

今それらの場所の大半が、災害によって道路復旧の見込みが何年もたたずにいたり、規制強化で二度と行けなくなったりしているのを見ていると、あの時に行っておいてよかったと思うのです。

しかし、オートバイですら、そこまで行ったことで、それで満足していた自分が居たことにも気がつきました。

おそらく、頭の中ではそこから登山することを考えていたのだと思います。

それが証拠に、ギア付きバイクに乗りながら、山歩きもできる登山靴を当時から自分は履いていました。

つまり、大弛峠からなら金峰山、広河原からなら南アルプスの北岳と、山小屋に泊まるか、キャンプ(野宿)するかして、登ってみたいとは思っていました。

でも、高校生の、たいして経験もない私が、それらの山を単独行するのは危険ですし、そもそも夜中に起きて一晩中走り続けて朝に登山口に着いたとしても、若い私ですらそこから山に入るような体力は残っていませんでした。

そこへゆくと、マイカーで来た人たちは車の中で仮眠をとってから山登りしています。

何かに似ているなと思っていたら、車中泊のスキー旅行そっくりなのでした。

場所は双方とも山ですしね。

さて、そんなことを思い出しながら、髪を短く切ってもらって軽くなった頭をポンポンと叩いてふと窓の外に目をやると、日は落ちてあたりはすっかり暗くなっていました。

お礼をいって代金を支払い、二枚重ねしてきたアウターを着こんで店から出て、ハンターカブに跨って走り始めたら、これが寒いのなんの。

往路には感じなかった寒気が身に沁みます。

あれっ?と巨大な違和感を感じました。

とくに、先程自宅に帰るまでに1時間強がんばって走っていた自転車との違いが際立ちます。

自転車も寒くないというわけではありません。

しかし、運動しながら乗っているという事は、自家発電の温かさがあります。

温かいどころか、ある程度まとまった距離を走ると、真冬日でも暑くなってくるほどです。

これは、気温の低い朝の4時5時でも変わりません。

ところがオートバイ(ハンターカブ)は、ある程度気温の高い昼間は良いのですが、暗くなって気温が下がるとがまんが出来ないほどの寒さに直面します。

これは走って風を受けることによって、実際の体感温度というものを経験してみないとわかりませんが、自家発電のないオートバイは、とにかく迫りくる寒さに対し防戦一方という感じで、辛いのです。

もし私がもう少し若ければ、「こんな寒さなんのその」と抗って走ることもできたのですが、もう人生の後半期に入って、これは辛いと感じました。

もちろん、電熱線入りのハンドルカーバーとか、ヒーター入りのジャケットなどもあって、歳をとって耐えられなくなった人は、それらグッズでカバーするという事も知っているのですが、そんなに重装備まで用意してハンターカブに乗るくらいなら、ブロンプトンに乗って運動していたほうが楽しい、暖房をきかせたマイカーに乗ってぬくぬく運転するよりも楽しい、と感じてしまいます。

それくらい、自転車というのは魅力的な乗り物なのだと、今回改めて気がつきました。

私くらいの年齢になると、余裕が出来な人の中では「若いころにできなかったことをやろう」と、あえて大型のオートバイに乗る人もいると聞きます。

しかし、自分のように若いころにオートバイに乗ってさんざん旅をして、それから就職して車に乗るようになり、家族が出来て運転手さんになって、いまやっと一人で自由に動けるようになって、「いやぁ、オートバイに戻るのはもう身体的に無理、だから(もっと過酷なはずの)自転車に乗ろう」となれるのは、幸運かもしれません。

私の場合、どんな自転車、どんなオートバイ、どんな車に乗るのかは全く問題ではなく、それら自分の足の補助となる道具を使ってどこへ行くか(何をするか)のほうがよほど重要な問題になっているわけで、ただお金を消費して、もっと楽に、もっと豪華にとならなかっただけ、助かっています。

実際、自転車+公共交通機関で旅、それも近隣のお散歩中心で移動しているだけなら、車に乗ってあちこち行くよりもずっと経済的で、なおかつ運動不足も補え、さらに(車内における)睡眠時間まで確保できるわけですから、一石四五鳥くらいのメリットがあるわけです。

さらにそれが巡り巡って高齢期を前にした自分にとって、こうしてオートバイや四輪車の自己の安全運転に対するフィードバックにもなっているわけで、これがまた、少なくとも免許制度のない自転車については、身体が続く限りいつまでも乗り続けたいと思うモチベーションになって戻るという、自己の中で肯定的なサイクルが出来上がっています。

寒いからといって、電車に乗るのではなく、まず折り畳み自転車で走る、時間が足りないようだったら電車に乗る、そういう選択肢があったからこそ、都内から自宅まで走ることができたのだと思います。

加えて、次回は季節もよくなっていることだし、仕事場から床屋さん経由で自宅までブロンプトンで走ってもいいかな、もし途中で疲れたら電車なり、路線バスに乗ればよいのだから、そんな風に考えています。

(おわり)