最近、自転車での登坂(とはん)が楽しくて仕方ありません。 | 旅はブロンプトンをつれて

旅はブロンプトンをつれて

ブロンプトンを活用した旅の提案

以前ブログで書きましたが、私の家は東西に長い谷間の奥にあり、自転車で南北に移動しようとしたら高低差25~35m程度の丘陵を上り下りしないと移動できません。
西側は高速道路(第三京浜)によって尾根が断ち切られてしまっていて、尾根伝いに西へ移動することはかなわず、一旦は30mくらいおりないとさらに西へは行けませんから、帰りはどうしても同じ坂をのぼって帰らねばなりません。
唯一、坂道があったとしても緩くて断続的で行き来しやすい東側ですが、その方向に最寄り駅があって、高頻度でバスが走っているので、自転車で往復する必要はありません。
その駅には大学があることも手伝って、駅に隣接した月ぎめ駐輪場を確保・維持しようと思ったら、大変な労力と時間がかかるので、安全面も考慮すると、バスで往き来する方がはるかに合理的です。


さらに子どもの頃は交通戦争ということばがあったように、交通事故による死者がいまより格段に多く、親から自転車に乗る範囲を制限されていました。
しかし、自分の脚よりも遥かに早く遠くへゆける自転車を前にして、すでに旅人の人生を歩みつつあった自分が、その約束を墨守するわけがありませなんだ。
そんなわけで、私は自転車に乗り始めた小学生の頃から、バスや車の走らない、裏道でかつなるべく傾斜が急ではない、昔からある坂道を選んで自転車で走る習慣がついていました。
これがのちの地形図を読む楽しさにつながっていますし、このブログを始めたころに、神田川を遡ってみたのも、東京の真ん中を東西に貫くあの川の流域と、それが形成する谷間に興味があったから、ブロンプトンで走ってみようということになりました。


それに、オートバイや自家用車での移動から折りたたみ自転車にスイッチしたころは、異様に坂を登ることを異様なまでに忌避して、鉄道やバスで高度を稼いだ後、下り坂のみを折りたたみ自転車で楽しみたいと考えていました。
とにかく、自転車で坂を登るのは嫌だったのです。
その理由は、今より体重が重く(つまり位置エネルギーが高く)、太っていて運動したくなかったということもありますが、昔から自転車で坂を何度も登りながら、丘を越えて谷を越えてという移動がかなり疲れるもので、それよりは川沿いに、つまり谷間に沿って走った方が、距離は伸びるかもしれないけれど、体力的にはずっと楽だということを体験的に知っていたからです。
それでも、場所によってはやはり下り坂のみというわけには参りません。
山などに行くと、下り坂の中に登りを挟む箇所はありますし、都会でも迂回はかなりの遠回りになるので、どうしても峠を越えねばならない場合は多々あります。
その際にも、なるべく乗ったまま漕いで登れる坂道を選択しますが。


そんな私がだんだんと坂を登るたのしみをおぼえていったのは、乗っている自転車が小径車、つまりタイヤ径の小さな自転車であったということが、多分に大きかったと思います。
小径車の良いところは漕ぎ出しが軽い点だけで、それよりも大きなタイヤ径の自転車に比べ、同じ距離を走るのにもタイヤの回転数が格段に増えてしまう為、タイヤやハブに入っているベアリングなどの消耗率が高く、金持ちの道楽的な乗り物だなんて批判する人がおりますが、それは一方的かつ偏狭的な見方というものです。
漕ぎ出しが軽いということは、街中でストップ・アンド・ゴーや、高速走行と徐行を繰り返しても、大きなタイヤの自転車よりもこまめに、かつ楽に対応できます。


そして何よりも、坂を登りやすいという点があげられます。
小径車はそれよりもタイヤ径の大きな自転車に比較して、軽く漕げるために、坂道をゆっくり、じっくり登ることが可能です。
もちろん、タイヤ径の大きな自転車でも、ギア比を幅広くして、車両重量を下げれば同じように軽く漕ぎ出せて登り坂も楽になるでしょう。
しかし、小径車はそれに比べて遥かにお金をかけずに、気軽に同じような軽快な走行を実現させることができます。
そして、車体自体が小さいから、小回りが利く分登り坂を登っている最中も、周囲をじっくりと観察することができます。
道端に生えている草花、谷間を流れる川からの瀬音、植え込みから驚いたように飛び出す小鳥たち、梢から聞こえてくる風が葉を揺らす音、そして坂の上に浮かぶいち朶の雲(笑)。
それに、登った後はたいがい高いところから下を眺めることができます。


これが、ただ早く走ってタイムを伸ばすことだけを目的としたトレーニングや、空調の効いた室内で、音楽を聴きながら、あるいは映像を観ながらフィットネスバイクを漕ぐよりも、どんなに五感を豊かにして、体と心に響くような有酸素運動かということは、実際に汗をかきかき実践してみないことには、実感できませんでした。
こうした、登山のような愉しみは、小径車が道楽だなどと決めてかかるひとには、その感覚を一生理解できないと思います。
いったん登り坂が楽しくなってくると、それにあわせて負荷をかけるのも面白くなって、意識的にコントロールしようと思わなくても、自然に体重が減って、さらに坂道を登るのが楽しくなってゆきました。

いったんこのサイクルを経験してしまうと、たとえば何かの事情によって日常的に自転車で運動する習慣が途切れてしまったとしても、近所のたいして傾斜が急ではない坂道からやり直せばまた元に戻せると知るので、リバウンドも怖くなくなります。
しかも、折りたたみ自転車なら公共交通機関を使って様々な坂を登ることができるから、いつも同じ運動を続けたり、やり直したりする必要もないので、飽きの来ない継続的な運動ができます。
何かの競技に没頭するような、ストイックにならずに運動習慣をつけたいといういまの自分には、ぴったりの趣味が与えられたと感じています。