ブロンプトンによる朝駆けを支えてくれる方々に感謝 | 旅はブロンプトンをつれて

旅はブロンプトンをつれて

ブロンプトンを活用した旅の提案

年末からお正月明けにかけてお寺は忙しく、私はほぼ毎日3時半起きで始発電車に乗る生活が続いています。
私は夜に食べないか小食な分、早起きでも朝食はきちんと食べるよう心がけています。
12月に入って間もなく、最寄り駅の吉野家さんの営業時間が、朝4時からだったのが8時からに変更になってしまいました。
コロナ渦になってから、季節によって営業時間が変動するようになったのです。
きっと人の手当てがつかないのでしょう。
それでも私は朝食を食べたうえで新川崎駅発4時43分の横須賀線始発に乗らなければなりません。
大船や藤沢に5時過ぎについてから食べたのでは、そこからまた自転車で走るのでお寺に到着するのが6時ぎりぎりになってしまいます。
コンビニがあるじゃないかという意見もありますが、コロナ前のイートインコーナーが稼働していた時から、コンビニでの超早朝食は敬遠していました。
汁物はインスタントになるし、ファストフード店にくらべて割高なのです。


そこで、通年4時から営業しているお隣の駅近くの吉野家さんに行くようになりました。
そのために、ブロンプトンで走る距離は遠回りになるため、秋までにくらべて10分から15分余計に時間をみねばならず、以前は4時とか4時5分に家を出ていたのに、今は3時45分から55分の間に出発するようになりました。
寒い中の3時半起き15分後出発は身体的にも精神的にもかなりきついのですが、いざ出て走り出してしまえば、以前書いたように夏場の朝、外のプールに浸かって泳ぎだした時のように、頬を突き刺すような風もだんだんと慣れてゆくものだと感じています。
「ここがだめだったらあそこがあるさ」とばかり、簡単に通勤経路を変更できるところがブロンプトン&鉄道併用通勤の柔軟性という美点ですが、同じ系列店のシフトの関係なのか、最寄り駅の店でお見かけした店員さんがこちらに店にも入っていて、私のことを見て「あれっ?」というお顔をされるのです。
いつもこんな早朝に自転車で通う客って他にいないから、顔をおぼえられているみたいです。


吉野家さんってもとは日本橋の魚河岸(のちに魚市場の移転に合わせて築地へ)で働く人のために牛めしを提供したのがはじまりだから、朝早くから働く人のために4時から朝食を提供してくださいます。
ライバルのお店はもっとも早い店でも5時からで、お店によっては夜中やって5時に閉店という店もありますから、どちらかというと夜更かしまたは夜通しの客をメインターゲットにしている感じがあり、日常生活でも旅でも夜討ちよりは朝駆けを重視している私は、吉野家さんの方に親しみを感じています。
しかし考えてみれば、4時に開店するということは前の晩のシフトがある程度準備してくれていたとしても、開店20分から30分前には店に来ないと開けられないわけで、私のように5時半から働くつもりの人よりも2時間も前に出勤しているということは、何時に起きてどうやってここまで来ているのだろうと思ってしまいます。

近所で自転車置き場がなければ徒歩で通勤できる人に限られるとなると、シフトに入れる対象も限られてくるでしょう。
いつもお寺に朝早くから来て感謝されている身だけに、この4時から開店しているお店のスタッフには、もっと感謝しなければいけないなと思い、いつも「ごちそうさまでした」と言った後に、心の中で「今日一日おかげさまで良いスタートが切れて感謝しています」と呟いています。
吉野家さんで朝食を15分くらいかけて食べて、4時20分くらいに店を出ると、
お隣の駅は、東横線の車両基地があるので5時始発の電車があるのですが、まだ開いていない駅前に、開場を待つ人たちが3~5人くらい立っています。
いつも同じ場所に同じ方が立っているので、早朝通勤の常連さんたちなのでしょう。


私が乗る電車はここから3キロほど離れた新川崎駅発4時43分の横須賀線始発か、川崎駅4時45分発の東海道線始発(その場合は川崎駅前の吉野家さんに行きます)なのですが、前者は品川発4時30分、後者は同4時35分発です。
始発の品川駅から乗ったことが無いので分かりませんが、この電車を走らせるための準備や駅の開場作業は4時前からはじまっているはずです。
それをする人たちは、昔の国鉄のように駅で宿直されているのかもしれません。
しかし、そういう人が居てくれるからこそ、こんな早朝から電車に乗ることができるわけです。
私は3時半起きのために、できれば21時前、遅くとも22時前には就寝するようにしています。
本当に電気を消して眠るのがその時間なので、19時台、20時台にはお風呂に入って身支度をすませ、ベッドの中に腰掛けて本を読んでいます。
(そのための読書灯もあるくらいです)
ということは、夕食も遅くても16時~17時ごろまでに済ませておくか、それが出来なければいっそのこと抜いてしまわねばなりません。
もちろん、吉野家さんをはじめファストフード店が開いていない、開いていたとしても朝食を提供していない時間に食べねばならず、この2時、3時に起きて4時から仕事を始めることの苦労は、今の自分などの比ではないと感じています。


私は会社員時代に海外添乗業務中に「24時間働けますか」みたいな経験をしたことがあります。
あれは数泊の間でこちらも20代と若かったから何とか対応できました。
その後ある程度責任のある立場になって、新規部署立ち上げ時に何か月か同じ状態になった時は、本物の過労死を疑似体験しました。
徹夜プラス夜1~3時間程度の睡眠で帰宅と出勤を繰り返すと、毎晩寝言が激しくなり、朝起きても幽体離脱みたいに天井から寝ている自分を見下ろしていて、その感覚が出勤時の駅のホームまで続きます。
電車のドアに吸い込まれてゆく自分を、斜め上の上空から見つめているって変な感覚で、ホームから線路に飛び降りてしまうときも、そんなアングルなのかもしれないと感じたくらいです。
仕事中は何とか正気を保っているものの、帰りの電車やタクシーの中でまた自分の寝言にびっくりして起きるみたいな状況になり、帰宅して眠っても、全然寝た記憶がないのです。
これでは本で読んだ某農業組合法人の特別講習研鑽会とか、昔のある宗教団体の修行みたいです。
いまだったら、1~3時間程度の睡眠では、日中昼寝の時間を与えられたとしてもポカをするか、病気になるかのどちらかだと思います。


だからこそ、きちんと睡眠をとったうえで、人の起きていない時間に仕事することが、どれほど大変なことか分かっているつもりです。
人間、見知らぬ色々な人がこうして支えてくれているから、朝食を食べたり電車に乗ったりできるわけで、仏教でいえば一人ひとりの生活はすべての人の生活と「縁」でつながっているということであり、キリスト教でいえば、どこで誰がどうつながっているか分からないのだから、誰に対しても常に親切でありなさい、孤立している人を裁いたり見捨てたりしたら、そういう行為はその人自身に返ってきますよということなのでしょう。
いつもと違う道を“Make me a channel of Your peace…”(神さま、私をあなたの平和の道具としてお使いください)と祈りながら、途中の道すがら地蔵菩薩が佇んでいるのを見かけてそっと手を合わせ「南無地蔵菩薩」と小声で唱えると、先ほど朝食を出してくれた店員さんや、これから向かう駅のいつもの駅員さんや列車の乗務員さん、電車の中で眠っているこれから出勤する人や、オールで飲み明かしたであろう人、開いているコンビニの店員さん、そこでそして私がブロンプトンで走る傍らを通り過ぎてゆく歩行者や車の運転手すべてが、私にとっての地蔵菩薩であり、また兄弟姉妹の皆さんなのかもしれないと思えてくるのでした。
これが、“Let me not seek as much to be understood as to understand.”(「理解されるよりも理解することをわたしが求めますように」)と祈って与えられた恵みなのかもしれません。
新年早々色々な目に遭遇している方もいらっしゃるかもしれませんが、どうか今日一日で良いスタートを切られることを祈っています。