林道小菅線にブロンプトンをつれて(その3) | 旅はブロンプトンをつれて

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ブロンプトンを活用した旅の提案

猿橋駅で6時12分に中央線を下車し、ブロンプトンで約900m走って川向うにある沢向橋バス停から6時22分発の小菅の湯行き富士急の路線バスに乗車することに成功した私。
小さいバスながら整理券をとって車内に入ると、私以外にはもう一人しか乗っていません。
営業所を出庫して、駅前を通らずに来るバスなので、通勤、通学者のいない週末はおそろしくすいているのでしょう。
エキストリーム乗り換えに成功してホッとしたものの、これではほぼ貸し切りバス状態です。
途中でもう一人男性の高齢者が乗車してきましたが、自分が下車するまでそれ以上乗車人員が増えることはありませんでした。
相模川の谷から奥多摩へと抜けるこのバスも、経営は苦しそうです。
猿橋駅のひとつ先の大月駅は富士急行大月線の起点駅でもあり、ここは昔から富士急バスのテリトリーで間違いないのですが、現在の会社は地域ごと、営業所ごとに分社化されて営まれています。


90年代の後半に、バス事業者に対する規制緩和が行われ、同じグループ会社のフジエクスプレスが東京に進出し、東京と横浜で路線バス事業を行っています。
東京都港区の「ちぃバス」と呼ばれるコミュニティバスも、同会社の運営です。
最初に都心で見かけたときは、山梨や静岡で活躍している富士急の路線バスがなぜ?とびっくりしたのですが、バス会社も地方だけで営業していると先細りで、規制緩和もそのバーターという意味合いが強いのでしょう。
そのほうが地域の実情にあわせて運営できるし、統廃合も楽で会社は存続するということでしょうけれど、合理化も行き着く先は行き止まりのような気がします。
地方の路線バスがどんどん乗合タクシーに変換し、さらに過疎化が進んでタクシー会社も撤退すると、いよいよ限界集落から廃村、もしくは消滅への道をたどるわけで、東京駅に直通する通勤型の中央線快速電車が停まるここ猿橋駅近辺でも例外ではありません。

そしてバス会社は収益性の高い都市部のみで営業し、都会へ進出できなかった地方のバス会社はどんどん潰れていったら、地域の公共交通機関は壊滅します。
上述のように、限界、消滅集落が出てくると、今度は道路の維持管理すらままならなくなり、人の入らない荒れた山がそこかしこに出現します。
げんに、先日オートバイで訪れた群馬・長野県境の上野村は、県境の峠へ近づくほどそのような色合いが濃くなってゆきましたし、走り屋の間では有名な、埼玉県秩父市から長野県佐久へと抜ける、三国峠越えの中津川林道が、何年にもわたって通行止め(2022年は結局未開通のままでした)になるのは、地方自治体に山奥の林道を維持する財政的な体力がもう無いからだとききました。
そして人の入らない山が増えると、手入れの為されない森林が増え、土砂災害が頻発し、それが河川や引いては海洋への生態系に影響を及ぼす結果となります。
これは北海道の原野や中国山地の奥での話ではなく、関東平野に流れ込む川の上流で起きていることです。

先般、「鉄道ファンが地方を滅ぼす」と題して、赤字ローカル線の存続は、鉄道ファンの情緒的な独善に地域エゴがのっかった、非合理的な選択だという記事を読みましたが、バスに転換すれば利用者が増えるというのは大いに眉唾ものです。
バスはその性格ゆえに定時運行が確保しにくく、細かいルート選択が可能といっても、降ろされた場所から足がなければ、足腰の弱ったお年寄りにとっては逆に苛酷になります。

本来バスは、鉄道との接続で利用される対象だったはずです。
それに、同じ距離を乗車するのに、鉄道とバスでは疲労度が違います。

2019年に大糸線のダイヤ補完バス制度(その年だけ試験的に行われました)を利用することで、南小谷~糸魚川間を行きは鉄道、帰りはバスを利用しましたが、バスは道路の曲折が多くて横揺れがひどいうえに、ストップ&ゴーも頻繁で、各駅に立ち寄るため(南小谷~糸魚川間は鉄道35.3㎞に対し、国道36.3㎞)に時間も余計にかかって、「もしここに住んでいたとして、通勤や通院など定期利用するならバスは御免だ」と中年の私でさえ感じました。
その点鉄道はたった1両でも車内も広くてゆったりして、バスに比べればはるかに揺れが少なくよく休めるし、乗車時間も短いので疲れはずっと少なかったのです。

記事は、鉄道ファンや地元住民が、旅情だの心の支えだのというセンチメンタルな感情だけで存続を望んでいると書いていましたが、あの記事を書いた研究者こそ、現地に何度も足を運び、地方で鉄道とバスの利用について自らきちんと調査することなく、都会のデスクで頭でっかちにデータやアンケートを処理し、そこから作文しているのではないかと感じられました。
もっといえば、鉄道沿線なりバス路線なりをきちんと歩くなり自転車で走るなりして、その地域に住む人々の生活を検証してからでないと、迂闊なことはいえないはずです。
地方といっても事情は様々ですし、アンケートで「地元民は鉄道を利用しない」と回答しても、ではバスや乗り合いタクシーなら利用するかといえば話は別です。
私の実感では、地方の道路における高齢者のマイカー利用は都会の比ではなく、横転など統計に出ない単独自損事故も物凄く多いと感じます。
そして、鉄道であれ、道路であれ、施設維持のための費用は膨大にかかり、これを合理化してゆき過疎化が進んだ結果、インフラそのものが消滅したら、上述した中津川林道のように、もはや人が入ろうにも入れなくなり、無人の山は荒れる一方で放置されます。
インフラにお金をかけるくらいなら、地域発展に向けてもっと実効性のあることにリソースを割いたほうがといいますが、その中身は全く示されず、ただ早急に地方鉄道を廃止してバスに転換すべきと主張し、地域を荒廃化させるに任せるのは、甚だ無責任な発言だと思います。

さて、小菅の湯行きの路線バスは、相模川の上流にあたる桂川の支流、葛野川に沿って谷奥へと進みます。
大月から北上してくる国道139号線と合流する田名瀬の集落を通過したあたりから、谷はいっそう狭まります。
秋の10月から11月にかかて、7時前のこの時間は太陽が昇っても夏のように急角度で高くは上がらないため、山の稜線に陽が差していても、バスが走る谷底は日影のままという状態で、バスの車窓から見上げるハイキングコースも無いであろう周囲の山々が、神々しく輝いています。
紅葉も、色づいている樹木もあれば、まだまだ先の木もあり、個別にみると、木によって、林によって、森によって、山によって、それぞれペースも落葉樹の割合も違い、パッチワークのような山肌は美しく見えます。
バスタ新宿のところで高速バスからの車窓は学びが少ないと書きましたが、こういう地方の路線バスは景色を眺めて飽きることを知りません。
一応、帰りにブロンプトンで猿橋駅まで戻ることも考慮して、復路に登り坂がないか、食事や休憩ができそうな場所はないかチェックしてゆきます。
こういうことは、自分でマイカーを運転していたなら、これほどまでに細かく観察できるかと思うのです。
意外だったのは、このような山奥の国道でも、まだトンネルを穿ったり、橋を架けたりすることによる新道建設工事が続いているのでした。

やがて竹ノ向というこの谷最奥の集落を川向に見ると、道は一気に傾斜をまして、深城ダム脇へと上りつめます。
深城ダムは1978年に着工し、2004年に竣工した重力式コンクリートダムで、堤高87m、提頂長164mと堂々としたもので、ダムの左岸にある管理事務所わきには駐車場とあずまやが設けられ、ダム湖であるシオジの森ふかしろ湖を眺めることができます。
利用目的は洪水調節、不特定利水、上水道となっていますが、小規模ながら発電も行っているそうです。
ダムの築堤上は歩行者と自転車のみが通過できるようになっています。
シオジとはモクセイ科の落葉広葉樹で、この付近の山々には多くみられるそうです。
(上述の群馬県上野村にはシオジの原生林があります)
そこからダム湖に沿って850m進むと、左手に新小金沢橋が架かっており、これを渡って向こう岸を左折すればダム展望台へ、右折すると真木小金沢林道で葛野川の右岸を遡り、大峠を経て大月市の西側にある真木鉱泉へと下りますが、この林道は大峠からこちらまでの区間は、ずっと前に地震による崩落と落石によって通行止めになったとききました。

なお、大峠から片道1時間の山道を往復して雁ヶ腹摺山=標高1,874mに登ると、昔500円札の構図に使われていた、秀麗な富士山を拝むことができます。


新小金沢橋を左に見て290m先の深城トンネルをくぐり、ダム湖を背に国道は松姫トンネルに向かって登ってゆきますが、1.3㎞先で左へ分岐している道が見えます。
これが旧松姫峠への道ですが、この先にある葛野川ダムへのアクセス道路にもなっているようです。
しかし、分岐したすぐ先に見えるトンネル入り口を、がっちり門扉で塞いでしまっているので、一般車は通行できないようです。
葛野川ダムは、バスから見えた深城ダムと同じ重力式コンクリートダムで、堤高105.2m、提頂長263.5mと、こちらの方が規模は大きく、1999年竣工です。
事業主体は東京電力で、利用目的は発電です。
大菩薩峠直下にあって、直線で8.8㎞離れた上日川ダムとの間を導水管で結び、異なる水系間で水を往来させることによって714mの落差を稼ぎ、3台の水車発電機を稼働させると最大で120万キロワットの電力を発生できるそうです。
同様に、異なる水系にあるダム間で水をやり取りすることで発電するシステムの発電所は、前述の群馬県上野村にもあります。
長野県側の南相木ダムを上部調整と、群馬県側の上野ダムを下部調整池として(標高差653m)、6基の発電機で282万キロワット発電し、これは水力発電としては、日本最大の発電出力だそうです。
堤高が日本でいちばん高い黒部ダムとして有名な、黒部川第四発電所の総出力が33万7千キロワットであることを考えれば、葛野川ダムや上野ダムの発電力の大きさが分かると思います。
なお、バスの車窓から葛野川ダムは山陰に隠れて見えません。

さて松姫峠や葛野川ダムへの道を左に分けるとまもなく松姫トンネルに入ります。
2014年に竣工したトンネルの長さは3,066mで、このトンネルができたおかげで、大月市と小菅村はぐっと近くなりました。
今乗車しているバスが毎日運行されるようになったのも、トンネル開通後からです。
ただ、長いトンネル内を観察していると、猿橋・大月側からくると、直線とはいえトンネル出口まで、かなり勾配のきつい上り坂が続いています。
トンネル内両側には自転車が走れるような幅の歩道はついていないので、このトンネルを自転車で小菅村へ抜けるのはけっこうきついのではないかと思いました。
かといって、標高1,250の松姫峠は、トンネル手前の分岐(標高710m)でも500m以上の標高差があり、自転車で越えたらかなりきついものがあります。
松姫峠は、織田信長の武田征伐の折、信玄の四女松姫がこの峠を越えて八王子方面へと逃れたことからこの名前が付きました。
むかしオートバイで越えたことがありますが、峠道は長く、頂上からは富士山が僅かにみえる程度です。
やはり、自転車なら小菅村から大月方面へ下る方が合理的です。

そうこうしているうちに、バスは松姫トンネルをぬけ、下りにさしかかっていたので、次の小永田という短いトンネルをくぐった先にある、同名バス停で下車しました。
ここからバスの終点である小菅の湯経由で、小菅村役場へとブロンプトンで下るつもりです。