いつまでも学ぶ旅人で | 旅はブロンプトンをつれて

旅はブロンプトンをつれて

ブロンプトンを活用した旅の提案

(写真と本文は直接関係ありません)

旅行会社に勤務していた頃、「昨日までどこそこへ行っていたんだよ」というと、「それって遊び?それとも仕事?」と訊かれたものです。
社の内でも外でも、プライベートな旅行は「あそび」、添乗や出張などのオフィシャルな旅行は「仕事」(但し、研修は車内では「あそび」というか「休息」や「報奨」の意味合いが濃いのでした)と分類されていました。
私が居た部署など、“Business Travel”が頭についていましたから、出張旅行専門みたいになっていましたが、そもそも旅を「あそび」と「仕事」に二分すること自体、無理のある考え方だと思います。
それをいうなら、上記研修旅行は「まなび」のはずですが、修学旅行に代表される教育旅行も、学びとは程遠い、打ち上げ、羽目外し的な意味合いで旅している生徒も先生がマジョリティでしたから。


今になって思うのは、「旅」を生業にする人ほど、定期的に旅人になる必要があるのではないかということです。
でないと、お客さんのニーズというものがつかめなくなるではありませんか。
先日も自転車で走るためにある宿に泊まったのですが、たまたま和室でした。
というか、温泉旅館だから和室がスタンダードなのだと思います。
今は人手不足だから、チェックインして部屋に入るとすでに布団が敷いてあります。
(ひとり旅の場合は気にならないのですが、2人旅、それも同性同士だったりすると、部屋に入った途端にちと気まずくなります)
それは良いのですが、敷布団をみると「あちゃあ」と感じてしまうことがよくあり、この時もそうでした。


マットレスが薄いのです。

というか、無い。
その昔、祖父母の家に泊まる時など、敷布団の下に3つ折りに畳めて、中にはスポンジの入っているマットレスを敷いていました。
あのマットレス、子どもにとっては格好の遊び道具で、横向きに山型に立てるとテント、たたんだ状態で畳に置くとトランポリン、縦方向に屏風状に立てかけると陣地、そして畳んだ状態で投げるとミサイル(襖や障子が破れるので怒られましたけれど)など、ある程度の厚みがあって軽いものだから、遊ぶのに汎用性があったのです。
ところが、収納の関係か、上げ下ろしの労力の関係か、最近旅館などではあのマットレスなるものを見かけなくなりました。


当然に敷布団の上にシーツ、そしてその上は掛け布団というスタイルが主流です。
話は逸れますが、掛け布団も冬のスキー場の民宿などで用いられてきた、分厚くて重いタイプは見かけなくなり、昔でいったら秋冬用の布団に、寒ければ毛布を出しますという宿が増えた気がします。
きっと和風旅館とはいえ、昔のような木造建築の建物が減って、鉄筋コンクリート建ての宿泊施設が増えたから、昔よりも館内が暖かくなり、厚手の掛け布団は必要なくなったのかもしれません。
真冬の木造民宿で、トレーナを着こんであの布団をかまくらのように丸くかぶり、褞袍(どてら)代わりにして、穴ごもりよろしく文庫本を読んだのも良き思い出だったのですが、今や半袖に短パンで、「暑過ぎる、暖房停めて」(ついでにうるさいからテレビも切って欲しい)という雰囲気になってしまいました。


敷布団が薄くなったのも、こうした建物の変化によるものかもしれません。
(もちろん、昔ながらの木造建築の宿でも、掛け布団は進化して軽く、暖かくなっています)
しかしあの薄い敷布団は、ふだんベッドに寝ている人にとっては、けっこうキツイものがあります。
とくに木造建築ではなく、床が防音、断熱を目的としたウレタンの上に畳を敷いた鉄筋コンクリート製の建物の場合、身体を横たえても全く沈みこまず、ゆえに支点が肩甲骨と腰あたりに集中してしまいます。
そして夜中に寝返りをうとうとして何度か目を醒ましてしまったり、朝起きたら背中や腰がいたかったりということになります。
横向きに寝る癖のある人なら、無意識に腕を身体の下に敷いてしまったときの朝など、片腕が壊死したのではないかと思うほど痺れたまま起きてくるということにもなります。
「なに贅沢なこと言っているんだ、旅は苦しんでこそ意味があると書いていたではないか」とツッコミが入りそうですが、昼間自転車である程度の距離を走ったり、旧街道を歩いたりする身には、質の高い眠りは大切なのです。


それに、旅に運動の要素を入れているという理由だけからではありません。
高齢化社会のこんにち、お年寄りだってベッドに寝ている人の方が多数派です。
寝起きするのに楽ですし、布団を上げ下ろしする手間もありませんから、お医者さんや建築家が推奨しているくらいです。
そして日常ベッドフレームの上にマットレスが敷かれ、そのうえに身を横たえて眠っている人にとって、旅の宿における畳の上のマットレスレス(マットレスの語源はアラビア語の“Matrah”で、マットが要らないからマット+レスではありません)は、厳しいのです。
ついでに言うと、椅子の生活をして身体が硬くなっていると、畳の上に胡坐をかこうにも後ろへひっくり返ってしまうので、仕方なしに壁際に座布団を二つ折りにして、壁に寄りかかって座るか、さもなくば中高生の体育すわりみたいな状態を強いられることになります。


もちろん、馴れの問題だということも知っています。
私は学生の頃、スキー場のアルバイトは月単位で和室に他人と雑魚寝して生活していましたし、社会人になって添乗が続くような場合、畳の上に寝る夜が一週間のうち半分以上だったことがよくありましたから、薄い敷布団も3,4日連続して寝ていると慣れてきてよく眠れるようになるのは経験的に分かっています。
姿勢の良い人は畳の上に直に横臥しても身体は痛くならず、ベッドのような柔らかい寝具の上で眠るよりも、却って体に良いらしいですし、労力の問題さえなければ昔の畳の生活の方が、より自然に近いという意味で深く眠れたのでしょう。
そのことに気が付いたのは、旧東海道赤坂宿で最後まで残っていた元旅籠の大橋屋さんに宿泊したときでした。
あの晩は、子どもの頃の祖母の家を彷彿とさせるものでした。
だから、今のグランピングのようなよくわからないカテゴリーの宿をプロデュースするのなら、古民家を再生して昔ながらの環境を実現しようとしている宿に興味があります。


しかし、こと旅行で宿泊するとなると、たったの1,2泊だからこそ、そして昼間の走行にできればよい状態で臨みたいからこそ、よく眠りたいのです。
そこに、遊びとか仕事とかの区分けは無いはずです。
最近はホテルでも、どこどこ製のベッドを入れていますとか、有名なメーカーの低反発マットレスを使用していますと宣伝するところが多くなってきました。
最初はメーカー側のホームページで宣伝していたのが、ホテル側の広告に移行してきました。
そのマットレスについても、低反発タイプで、持ち運びや収納に優れている製品が安価に入手できるようになっています。
今の世の中、ネットで宿への到着時間だとか、車で来る場合はナンバーなどを報告できるようになっているのですから、ひとこと、「普段ベッドでお休みになっている方で、低反発マットなどを必要とされる方は、こちらにお申し出ください」とホームページに書き添えておき、希望客には敷布団の下にマットレスを敷く、これだけでも他の宿とは差別化になりますし、何よりも宿伯客にとってはありがたいサービスになるとおもうのです。


冒頭に旅に関わる人は、定期的に旅人になることを忘れないで欲しいと書きましたが、これは旅行に限ったことではなく、すべてのことにあてはまるのではないでしょうか。
物書きは、それでお金をもらっていようがいまいが、読者になることを忘れてはならないし、教育者は、自分が学ぶ場面を持ち続けなければならないし、医者をはじめとする医療関係者は、自分が患者の側に立つ経験を重ねないと見えてこない真実があるし、政治家のセンセイは、立候補者からいち選挙人の側に定期的にまわって政治を見てみないと、とんちんかんな方向へ行ってしまうのではないでしょうか。

とくに地位が高いとされる人ほど、その必要性は相対的に高く、そういう経験を蔑ろにしたままでいると、やがてはとんでもない自己中心的で、他人を見下すような、傲慢きわまりない勘違いをする人になってしまう気がします
これは個々人の役割を固定しがちだったかつての日本文化においてはありがちな落とし穴だったかもしれず、だったら人の振り見て我が振りを直すのではなく、人の立場に立って自分を見つめ直す必要があったはずです。
本当のところは、遊び(プライベート)であろうと仕事(ビジネス)であろうと、そこから経験的に学ぶ人と、全く学ぶ気のない人の二種類の人間がいるだけなのかもしれません。
だとしたら、私は死ぬまで学びつつある人間でいたいなと思います。