こちらも最終回になります。
お江戸日本橋からここまで10年もかかったために、写真でしか見れなくなってしまったものもあるかもしれません。
同じ形の家が並んでおりますが、これを文化住宅と呼んだのだそうです。
以前は長屋でトイレや水場を共有していたところ、このように各戸別々に独立したところから、その名前がついたそうです。
酔っぱらって帰ったら、よその家の呼び鈴を押してしまいそうです。
たしか関西には「文化ライス」なるものがありませんでしたっけ?
あれはたしか、ご飯にソースをかけただけなんて聞いたのですが、それはソーライスで、文化ライスはご飯の上に目玉焼きと豚肉をのせたうえでソースをかけたものということです。
水道屋さん?
それとも配管業?
いずれにしても、シュールなショーウィンドウなのでした。
なんか川崎の臨海工業地帯を連想してしまいます。
むかしは街中華というとこういうお店がスタンダードだったのですが、いまはどんどんきれいになるか、チェーン店になってしまっています。
表に自転車が停めてあり、ビールケースも重ねてあるのはお約束です。
たしか有名な餃子の全国チェーン店も京都発祥で、山科に工場があるときいたことがあります。
あちらはチェーン店でも店舗ごとにメニューが違うそうですから、京都でも寄ってみると面白いかもしれません。
スタバに食事処、そして本屋さんと、コンパクトにまとまっている山科駅に隣接するビル。
東京や大阪など論外ですが、京都でも駅前は大きすぎて使いにくいので、住むならコンパクトな山科の方がヒューマンスケールで居心地よさそうです。
でも、洛中の人から見ると、山科って山向こうなのだそうです。
JR山科駅前にある、京阪山科駅の駅舎です。
ドーム型は明り取りのためでしょうか。
ついでにいえば、仏法に過去もないそうです。
「過去を悔やむな、明日を思い煩うな、今この瞬間に感謝」ということは、聖書の「たえず感謝していなさい」と同じことだと思います。
地蔵菩薩の祠。
両側の花は造花ですが、こうして開いているところをみると、毎日毎夕開け閉めして、水や榊を取り替えているひとがいるのかもしれません。
小さなことですが、毎日やるのは大変だと思います。
グーグルなどで「24時間営業」などと書いてあるのですが、営業しているわけではないですから。
こちらはその先にある大日如来です。
菩薩と如来の違いをご存知ですか?
簡単にいえば、菩薩は仏さまになるべく修行している姿。
如来は、仏さまになった姿をあらわしているのだそうです。
だからといって、ヒエラルキーとかはありませんから。
もうひとつ、お不動さまにだいひょうされる、明王があります。
あれは如来の変化身とのことですから、仏さまです。
京都到着はできれば春にしましょう。
尺取虫方式の場合、早春に日本橋を出発、梅雨前に箱根を越え、夏に静岡県を抜け、秋に伊勢湾を迂回し、冬に鈴鹿を越えて春に京の都にたどり着くというのがちょうど良いと思います。
春は穏やかですし、フィナーレは花の都が良いではありませんか。
夏だったらどこか冷房の効いたところに飛び込みたくなるし、冬の京都は東京など問題にならないほど寒いですよ。
海のない盆地ですから。
わかりにくいのですが、粟田口の刑場には桜の花びらが風に舞っておりました。
刑場、桜…どこかで見た組み合わせだなと思ったら、忠臣蔵における浅野内匠頭の切腹の場面でした。
日本は桜の散り際を潔さに喩えますからね。
ホテルの入口にあるこの電光板。
けっこう古そうですが、流しのタクシーに対し、「玄関先でお客さまがお待ちです」という意味だと思います。
都ホテル泊ったことないので、確かめたわけではありませんが。
心をこめて優等生を誉め、
怒りをこめて劣等生を詰る。
教師のいうことをよく聴く学生も、全く省みない学生も、
どちらも同じ人間なのに。
社会に役立つか否かだけで評価してきたその結果が、今の世です。
こうして改めて鴨川をみてみると、広くて浅いことがわかります。
両岸の土手上は、自転車のハイウェイかと思っていたのですが、実際は橋毎に上の道に出るスロープがあるわけでもなく、右岸は舗装もされていないので、有効活用できないのでした。
でも、市民の人たちは自転車で往き来しているので、車道を走るよりはずっと安全なのかもしれません。