子どもの私が文字に興味を持ったきっかけ | 旅はブロンプトンをつれて

旅はブロンプトンをつれて

ブロンプトンを活用した旅の提案

自分はなぜ本を読むのが苦にならなくなったのだろう、その原点を探ってみたいと今回は思います。
たしかに、幼い頃絵本をたくさん読み聞かせしてもらった記憶があります。
たくさん、というよりは毎晩少しずつという具合で、1回あたり15分でも積み重なれば膨大な時間になります。
読む本も、最初は短い絵本から、だんだんとジュブナイルの長編に変わっていったと思います。
それに、前の晩「話の続きが気になるところ」で中断され、「続きはまた明日の晩に」とやられると、毎晩読んでもらわないと眠れない状態になります。
私は娘にOヘンリの『最後の一葉』(金原瑞人訳・岩波少年文庫刊)を読み聞かせたことがあります。
あの話、最後まで結末を引っ張るじゃないですか。
読み聞かせも、ただのんべんだらりと本を読めば良いわけではなく、紙芝居のように抑揚をつけたり、声色を使ったりするほか、聴かせる側に技術が必要だと思いますよ。

しかし、本の読み聞かせだけでは、独りで本を読めるようにはなりません。
なぜなら、あれはどこまで行っても子どもは聴くだけで、それのみで読むことにはつながりませんから。
あのまま行ったら、私は「オールナイトニッポン」に代表される、深夜ラジオの虜になっていたかもしれません。
その昔、ラジオ番組に「夜のミステリー」というシリーズがあって、本当に怖くて耳を塞ぎたくなるのですが、ついつい聴いてしまったものです。
たしか遠藤周作の怪奇短編もラジオドラマ化されていたような気がします。
私はその頃、まだ彼の小説にはまる前だったので、「あのCMに出ている変な先生の話か」くらいにしか思っていませんでした。
あとで本を読んで、熱海の駅裏にある旅館でお友だちの三浦朱門氏とともに泊った際に出くわしてしまう幽霊のお話など、どことなく滑稽で笑ってしまったのですが、ラジオドラマになって演出がかかると、洒落では済まなくなります。
あれなど、小説を聴くことと読むことの違いをよく表していたと思います。
今も何話かネットにあがっているので、怖いもの知らずの人は試してください。

どこで読み聞かせを卒業して自分で本を読むようになるかですよね。
今思い返してみると、文字、それも活字(印刷された文字)に興味が持てるかどうかが分岐点だった気がします。
人によっては、字ばっかりの本を見た途端に頭痛がしてくるそうですし、なかにはディスレクシア(識字障害)といって、文字に全く興味が持てない学習障害を背負った方もいらっしゃるくらいですから、私はラッキーだったと思います。
日本では、常用漢字2,136字4,388音訓(2,352音、2,036訓)について、小学校1年生で80字、翌2年生で160字、3,4年生で200字ずつ、5年生で185字、6年生で181字と、6年間で1006字、およそ半分習います。
そして続く中学の3年間で、1,110字習うことによってほぼ網羅します。
(義務教育で習う漢字は教育漢字といって、常用漢字とは若干違います)
漢字のテスト、読みの方はまだしも、書き取る方は苦手でした。
文字はアルファベットであろうが平仮名であろうが漢字であろうが、皆「記号」です。
漢和辞典など引く際に、成り立ちを見るのが面倒くさいと感じていたように、私も文字そのものに興味があった訳ではありません。

では、私はどこで活字に興味をおぼえたのか。
よくよく思い出してみると、本屋さんでも図書館でも、もちろん学校の教室でもありません。
それは駅なのでした。
上述のように、学校で習う漢字が増えるにつれて、私はひとり旅や、友だちとだけの鉄道旅行を増やしてゆきました。
列車を待つ間、あるいは列車が停車している間、駅のホームには駅名表示板があります。
そこには漢字とその下にひらがなで、当該駅と手前の駅、次の駅がT字に分けられて並んでいます。
夜行列車などに乗ると、時間調整のため停車した地方の出来で、闇の中にぼうっとあの駅名表示板だけが電灯に照らされて浮かび上がっていて、それは幻想的に見えたものです。
駅名表示板だけではありません。
当時お金のない小中学生が学割で利用するのは、鈍行か急行と相場が決まってました。
当然、特急列車より停まる駅は多くて、通過待ちなど停車時間も長いのでした。

すると、駅名表示板以外にも名所案内や広告などが車窓オタクの目に入ってきます。
そこには近隣の温泉や寺社の名前、古戦場や海水浴場やハイキングに適した山の名前などが載っています。
また、温泉街が近いと、旅館の看板や、夕方など駅前に並ぶ送迎バス、それに半纏を着て旗をもった番頭さんなどが並んでいるのが見えました。
伊東線の伊東駅、中央本線の石和駅や上諏訪駅、信越本線の磯部駅(現・しなの鉄道)の戸倉駅、上越線の渋川駅、水上駅、越後湯沢駅、そして東北本線の金田一温泉駅など、よく覚えています。
また、急行列車は列車名も漢字が多かったのです。
東海道本線の「東海」、中央本線の「甲斐路」「天竜」、信越本線の「信州」「妙高」「志賀」、上越線の「佐渡」、東北本線の「日光」「出羽」「八甲田」「津軽」、常磐線の「奥久慈」「十和田」そして総武本線の「犬吠」「水郷」「鹿島」「外房」「内房」など、どれも旅情を誘うような名前ばかりです。
(反対に、「こまがね」「ときわ」など漢字を開いた名前もありました)
それに比べて、今の特急列車の目的地とは関係ないカタカナネームの何と無機質なことか。

私はこうして旅をしながらその地名の読みを漢字でおぼえ、家に帰ってから地図や時刻表をめくることで、まだ行ったことのない地名、乗ったことのない路線の駅名の漢字をおぼえてゆきました。
鉄道の路線別に漢字をおぼえると、本線、それに付属する支線と、ツリー形式で字と読みを記憶することになります。
(事実、JTBの時刻表はそのように、本線、それから起点に近い支線の順に路線が並んでいます。)
たとえば、伊那市や飯田は中央本線に乗って岡谷で飯田線に乗り換え、市川大門や鰍沢口はその手前甲府乗り換え身延線でというように。
これって東海道本線に乗っていれば、静岡県の西は愛知県で、それが逆転することは無いように、小諸は信越本線の駅で長野県佐久地方、六日町は上越線の駅で新潟県上越地方と、取り違えることは絶対にありません。
これって、地理だけでなく、字を記憶するのにもとても都合が良いのです。
もし私が、漢和辞典や教科書の文章だけで常用漢字をおぼえろと言われていたら、活字オタクにも本読みにもならなかったと思います。

こうした「土地と文字の記憶と想像」は国内に限ったことではありません。
今の季節、街中をブロンプトンで走っていると、金木犀の花の香りがよく鼻につきます。
人によっては、「あれはトイレの芳香剤そっくり」(芳香剤が真似していると思いますがね)なんて言いますが、私は行ったことがないけれど、中国南部の「桂林」を思います。
桂林というと、あのタワーカルストが林立する山水画の世界が有名ですが、行った人から秋に訪れると街中キンモクセイの香りに包まれると聞いているからです。
同時に、あそこは日本語では「けいりん」ですが、中国語の普通語ピンインでは【Kweilin】(クィリン)、現地のチワン語では【Guìlín】(グィリン;通常はこちらで呼ぶ)です。
漢字のないヨーロッパでも、例えばドイツのミュンヘンは英語では“Munich”(ミュニック)と発音して航空券など発券しますが、ドイツ語では“München”(ミュンヒェン)と日本語読みの方がずっと近く、この時期なら横浜の赤レンガ倉庫でやっている、オクトーバーフェストの黒ビール(ドイツの場合、黒が主流)を連想します。
同じように、ポーランドの首都ワルシャワは、英語読みが“Warsaw”(ワルソー)ですが、現地ポーランド語の“Warszawa”(ワルシャワ=ワとシャにアクセント、そのまま漢字を充てると「悪沢」になってしまいます)は日本語読みの方が近く、その響きは「北のパリ」と呼ばれたあの街にずっと相応しいように思えます。

もちろん、こうして土地や駅の名前から字をおぼえ、そしてその場所の地理や歴史に詳しくなると、世界が広がります。
そしてそこを旅したならなおさら、現地を舞台にした小説も、その情景が想像しやすくなります。
たとえば、三浦綾子の札幌を舞台とした「ひつじが丘」という小説ですが、書き出しは次のようにはじまっています。
『泳いでみたいような青い空であった。じっと見つめていると、空の奥からたぐりよせられるように、細い絹糸にも似た雲が湧いている』
そして最後は『雲は陽に輝いて、きらりと一点光っていた』で結ばれているわけですが、これは小説の冒頭と結語を関連付ける、呼応という手法です。
そして、主人公の通う女子校の愛称が「リラ高女」、すなわちライラックの花が多いからそう呼ばれている旨、書き出しに続いて紹介され、その校舎の窓から空を眺めているという情景が続きます。

ライラックとは札幌市の木にも指定され、札幌~旭川間の特急の列車名にもなり、4~5月のまだ浅い春の寒さを「リラ冷え」(「…の街」という小説が、渡辺淳一氏の作品にありました。ある意味「ひつじが丘」とは対照的なあの作者お得意の不倫ものです)と表現するほど、北海道ではお馴染みの木です。

こうしてン10年ぶりに一部読み返すと、10代の頃の世界に入ってゆくような気がします。
中学時代に一度北海道を旅して、ユースホステルに泊って札幌の街を歩いたことがあったので、今のように高層マンションが林立するはるか以前の昭和40年代初頭の札幌郊外の空(私はその時代の札幌をもちろん見たことありません)も容易に空想できるのです。
当然、小説は読みやすくなります。
このように、小説の舞台を旅することを繰り返していると、やがて想像力がたくましくなり、例えばロシア文学における舞台設定のサンクトペテルブルグが、モスクワとは全然違うことを(たとえ双方に一度も行ったことがなかったとしても、)容易に想像できるようになります。
このように、まだひとり旅をするような年齢では無い頃から、あちこち自分で計画して旅をしていたおかげで、文字を介して本を読むのが好きになったのだと、今では考えています。
同時に、定期的に旅に出るからこそ、この歳になってだんだん小さな字が読みづらくなっても、読書はやめられないのだと感じています。