木賊温泉2022春(その5) | 旅はブロンプトンをつれて

旅はブロンプトンをつれて

ブロンプトンを活用した旅の提案

(その4からのつづき)

宿から2㎞ほどで、左手に林道を分けます。
表示を見ると、広域基幹林道諸沢川衣線とあり、絵図を見る限りでは、東隣、つまり湯の花温泉のある湯岐川沿いの谷まで、山越えしているようです。
但し、入口からすぐ先の橋がチェーンで閉鎖されているのに加え、その向こうは未舗装路で路面も荒れているようなので、小径自転車では押し歩きする羽目になりそうです。
(帰って地図を確認したら、この林道は未開通のようでした)
そうこうしているうちに川衣の集落に入ります。
今走っている西根川沿いの谷間では、もっとも奥に位置する人家のある場所です。
アヤメやマーガレット、ラベンダーなどを庭先に認めながら、会津独特の家並みを抜けてゆきます。

旧街道の旅も、東海道に続き甲州街道を走るようになってから歩くことも増え、まるでハイカーのように、路傍の花に目を留めるようになりました。

最初は天台宗の千日回峰行をしているお坊さまの真似をして、摩耗して形も定かでなくなった石仏に短く祈っていたのが、その傍らに咲く野花にふと神の愛や仏の慈悲を感じるようになったのです。

若い頃は「男が花を愛でるなんて…」なんて歯牙にもかけなかったのに、この歳になってみると、キリスト教的にいえば全ての自然は神がよしとして創造した奇跡であり、仏教的にいえば、「草木国土悉皆成仏」のことばを待つまでもなく、因縁で結ばれ、仏性に立ち返るべく輪廻の中で共生している仲間だと思うようになり、自転車で走っていることをいいことに、こうしてちょこちょこ立ち止まっては写真に収め、「会えてよかった、ありがとう」と心の中で声をかけるようになりました。

花屋の店先に並んでお金を出して買われるのを待っているわけでもなく、もちろん、通りがかりの人から「美しい」と称賛されることを期待しているわけもなく、ただ無心に生きるためにこうして花を咲かせては実を結び、やがては枯れてゆくだけの草木に、生きることとはどういうことなのか、「お前さまは何を目的にどこへ向かっているのか?」と、教え諭されているような気になることがあります。

これはたぶん、登山道脇でひっそりと咲いている花を見た時と同じ気持ちです。

何だか巡礼者やお遍路みたいですよね。

しかし、オートバイや車では絶対にできない旅の習慣です。

そんなことしても自己満足で何になるのか?と嘲う人も、そんなことやっている暇があったら、1分でも余計に働いて金を稼げと宣う人もいますが、私はそういう心を無くした人が、今の「カネがすべて、力がすべて」みたいな社会を形成していると思うので、そういう異論には耳を貸しません。

分かる人には分かると思いますが、物言わぬ草花だって、感謝の気持ちを伝えればちゃんと返ってくるものがあるのです。

そういうやり取りが、人生を創ってゆくのだと思います。

だから逆に路傍の草花をわが物にしようと手折って持ち帰ったり、それで商売をしようなどと邪な気持ちで生きている人間は、伝説や昔話にあるように、自惚れに溺れ、或いは自己を金を稼ぐだけの人生に沈めてしまうのでしょう。

実際、道端でブロンプトンを停めて写真を撮っていると、何をしているのか怪しまれかねないので、道祖神や馬頭観音に、短く真言を唱えたり、「すべてのもののうちに、神の愛を見出せますように」と短く祈ったのが最初です。

つまり、私の路傍での祈りは、エクスキューズの為のポーズから始まったのです。

現代の日本で、そんな奇特なことをやっていると余計におかしくみえるかもしれません。
今回も、この先行き止まりの山の中へ入ってゆくなんて、どういう目的の人だろうと怪しまれやしないかと思ったのですが、朝が早いせいか、それとも遅すぎるのか、車が走っているのを一度見かけたほかは、路上で人に会うこともありません。
井筒屋さんで聞いたのですが、この集落の人は昔から山菜をとって生活の糧にしていたそうで、外から来た人が勝手に山の中に入ることについては厳しいのだそうです。


そう言われてみれば、さきほどから「入山禁止 山菜キノコ等を取った者は、一人10万円以上の罰金を徴収し、取った山菜、キノコは全部没収する」と赤字赤囲いで掲示された看板が複数目につきました。
これだけ警告しているということは、盗掘被害がひどいのかもしれません。
同じ村内でも共同で採草していても、どの山菜やキノコがどの山のどの斜面に、いつぐらいの時期に生えているという情報は、村の人個々人の胸の内にしまっていて、互いに教え合ったりはしないそうです。
それでも地元の人は加減を知っているので、まだ食べごろでなからととっておいた山菜やキノコを、すべて早摘みしてしまうような人は、地域外から来ているというのはすぐにわかるらしく、他県ナンバーの車は警戒されているのだとか。
他所から来て山菜やキノコを採る人たちは、デリカシーが無く、根こそぎのような形で取っていってしまうので、来年の芽吹きが鈍くなったり、下手をすると乱獲のし過ぎで採取できなくなってしまったりする植物やキノコも出てくるとなれば、そこに住んでそれを取って収入にしている人たちには、死活問題になります。

だから、警告の看板を見た時にも、対象とされた人たちに対して、「彼らに気付きが与えられますように」とか「彼らが妄念から目覚め、あまねく不安と悲しみの道を超えられますように。」と祈るのです。

こうした祈りは人間が予期した形でないにせよ、必ず聞き届けられると信じるところが、信仰だと思います。

集落を抜けて、直線に近い道路をのぼってゆくと、最後の人家にあたるいわなの釣り堀がありました。
おそらく宿で聞いたイワナの養殖もここだと思います。
ここまで宿から3㎞で30分かかりました。
昨日のような峠越えの坂道と比べれば、ずっと緩い登りですが、それでも朝飯前の運動としては十分です。
釣り堀を通り過ぎると、谷間は狭くなり、道も鬱蒼とした樹間のなかに入ります。
林道沿いにせせらぎが流れていますが、側溝のように蓋がしてあるわけでもなく、フェンスで隔てられていることもないので、夜中など知らない人が車で入ったらスタックしてしまうかもしれません。
さらに奥へ入ってゆくと、宿から4㎞で西根川を橋で渡ります。
名前も見当たらない、この橋の両欄干はガードレールがついているのですが、土石流に襲われた爪痕なのか、両側とも泥で汚れています。
そして橋から見る川の様子は、まさに災害の後という雰囲気です。
最上流部で斜面崩落が大規模に発生すると、その下流にある川床も巻き込んで、土石流はどんどん勢力を増すのかもしれません。


西根川の右岸に移り、さらに舗装路を登ってゆくと、今度は支流にかかる小さな橋を渡ります。
橋両側のガードレールは見事にひしゃげており、この上を岩石や土砂、折れた樹木が覆いかぶさるように通過した名残りだと思われます。
この2つ目の橋から先が未舗装路となり、ゲート(壊れているので遮断機はありませんでした)から先は、宮里林道という表示がありました。
ここが登山地図に示されている川衣ゲートでしょう。
ここまで距離3.3㎞、標高差123mで37分かかりました。
ここから田代山山頂までは、徒歩で上り3時間20分、下り3時間10分です。
木賊温泉からここまで歩いたなら登り1時間半、下り1時間20分上記の時間に加わるので、車両が通行可能な林道なら、行けるところまで自転車で行って、そこに駐輪して山道を徒歩で往復した方が、時間の大幅節約になります。
山登りには荷物が必要なのに、それに自転車に乗って登山口まで往復するのに、最後の未舗装路を押し歩きするのでは、自転車の分まで重量が増えるのだから余計に大変だと言う人が居ますが、私の感想ではそれを補って余りあるおまけが自転車にはついてくると思います。
長くてつまらない林道歩きが登りで半分弱、下りでは8分の1ほどに短縮され、歩き疲れも軽減されるわけですから。


川衣ゲート脇の小さな石祠にお参りして、宿まで坂を下ります。
10分程度で戻ることができました。
昨日午後の運動とは比ぶべくもない、ちょっとした有酸素運動でしたが、それでもジョギングの代わりにはなったみたいです。
昨夕のアルコールは、汗とともに完全に抜けてしまったようです。
さっとシャワーを浴びて、8時朝食です。
山菜のおひたしや煮つけが合計3皿、納豆、漬物、イワナの甘露煮、そして陶板焼きにご飯という豪勢な朝飯で、お腹がペコペコなので、もちろん完食しました。
すこし休憩した後、もう一度温泉に浸かり、そして井筒屋さんの本棚を眺めます。
ここは漫画も含め、子ども用の絵本や童話が多かったのですが、東北の山々を紹介した古いガイドブックなどもあり、背表紙を読んでいても飽きません。
懐かしかったのは、『兎の眼』(灰谷健次郎著 理論社刊)があったこと。
映画で有名な壷井栄の『二十四の瞳』などとともに、教師を目指す中学生には必読の小説でした。
そうそう、もう絶版になって久しいけれど、添田知道『小説教育者』なんて本もありましたね。
(中学生で教師を目指すっていうのも、どうかと思いましたが)


その日は車で帰宅するだけだったので、10時までゆっくりして、山王峠を越え、下今市でお昼を食べて、夕方までには都心に戻りました。
こうしてドライブする一日でも、朝に少し身体を動かした日とそうでない日には、調子に差が出ます。
普通は車を運転する前に運動などしたら、却って運転中の疲労が増すのではないかと思いがちですが、運動量を多くし過ぎないことと、運転時間を休憩で区切り、あまり長距離を走らないのであれば、身体の調子は逆に良いものがあります。
これは、大学生や社会人になりたての頃、夕方までスキーをして、夜空いた道を車を運転して自宅まで帰ったときと、朝のリフトが動き出してから1~2時間のいちばんコンディションが良い時だけ滑り、10時には引き揚げて、同じくマイカーで帰宅の途についた時との比較をしてみたら一目瞭然でした。
やはり運動はタイミングと量を調節することが大事なのだと思います。

この木賊温泉の旅も、前日の午後にヒルクライムを行わず、帰宅当日の早朝に4時起きしてやっていたなら、帰りの運転は辛いものになっていただろうと思うのです。
運動は、ずっとしないでいてある時になって焦って沢山するよりも、毎日適量をちょこちょこと続けるのが、体に負担もかからず、かつ息の長いお付き合いができる秘訣なのではないでしょうか。
そういう意味では、普段しているブロンプトンの電車併用通勤も、健康には大いに役立っていることになります。
今回、塩原温泉で尾頭峠を、そして木賊温泉で周囲の舗装林道をブロンプトンで走ってみて、与えられた環境でも、できる範囲での運動ということについて、深く考えさせられました。

また、自転車を漕ぎながらでも信仰は深められるとの思いも確認できました。
そして、旅における折りたたみ自転車の活用について、もっと様々な角度から掘り下げてみようと思いました。

(おわり)