ここのところ連続して壊れたモノ(その3―腕時計) | 旅はブロンプトンをつれて

旅はブロンプトンをつれて

ブロンプトンを活用した旅の提案

(その2からの続き)

荷物とともにブロンプトンを載せたまま、わたしを残して電車は行ってしまいました。

あとから写真を確認してみると、停車中の列車は防寒対策のためドアを閉めている際は、ドアランプは消えているようで、これがボタンを押してもドアが開くのか開かないのか、わかりにくくしていたようなのです。

それにしても、これは私にとっての事故です。

乗り遅れただけならまだしも、荷物は列車に乗ったまま行ってしまったわけですから。

さて、どうやってこの状況を好転させましょうや。

とにかく、どんなに時間がかかっても、ブロンプトンとショルダーバッグを確実に手元に戻るよう手を打たねばなりません。

そのためには、持ち主のいなくなったあの列車内の荷物を、できるだけ早く回収してもらうことです。

まずは、事の次第を鉄道会社に連絡だと思い、自分でスマホからJR東日本お客様相談センターに電話をすることを考えました。

しかし、先ほど改札を抜けた際に、富士見駅には嘱託かもしれませんが、職員氏が居たのを思い出しました。

そこで、改札口にいた彼に事情を話すと、気の毒そうに「今は運行中の列車から荷物回収をやっていません。申し訳ないのですが、ここに電話してください。」と、お問い合わせセンター(お忘れ物)の電話番号を書いた紙を渡されました。

あれ、つい最近までJRの電車に乗っていると、「忘れ物捜索完了」という車内アナウンスを聞いた記憶があるのですが、やめてしまったのでしょうか。

でも、ここで「ハイそうですか」と簡単に引き下がるわけにはゆきません。

「そんな、今行ったばかりの列車で、荷物は先頭車両の運転席すぐ後ろ、しかも折りたたみ自転車なのです。何とかなりませんか」と食い下がったところ、「鉄道無線で連絡してみます。荷物の内容を教えてください。えっと、緑のカバーに包まれたオレンジ色の折りたたみ自転車と、ベージュ色のショルダーバッグの2点ですね、しばらく待っていてください」とのお答え。

もうドキドキものです。
その間に、心を落ち着けようとスマートホンで時報を聞きながら腕時計を確認すると、なんと腕時計は実際の時刻より1分遅れています。
今日は曇っているから太陽電池が弱っているとか、山の上だから電波が届きにくいとか、そんなはずはあり得ません。
『これが乗り遅れの理由とは…』と愕然とするとともに、帰ったら絶対に修理しなければと考えました。
7,8分後に呼ばれて、「今小淵沢駅でお荷物が回収されました。次の列車で向かってください。」と言われました。
「本当に助かりました。ありがとうございました。」と何度も平身低頭してお礼を述べます。

ひょっとしたら、田舎の駅だったから無理をおして動いてくださったのかもしれません。

今は電子決済の時代だから、大金を持って電車に乗ることはないでしょうが、忘れ物が他人から預かったパスポートの束(もちろん、今の旅行会社は査証などを取得する場合を除き、旅券を預かったりはいたしません)だったりしたら、どうなるでしょう。

『とにかく、回収してもらえたのだから余計な心配はしないことだ』と思い、すこしだけ狂っている腕時計はもう見ないようにして、スマートホンで時刻を確認すると、まだ11時10分で、次の列車出発まで50分近くあります。
ここ富士見駅は八ヶ岳山麓のペンション村、そして富士見パノラマスキー場(4月に入っているので既にシーズン終了しています)の玄関口、八ヶ岳や反対側にある入笠山の登山口、旧甲州街道(信州往還)の富士見峠も近く、ドラマ『青い鳥』(奇しくも腕時計を購入した1997年放送の、JR東日本が全面協力した、ロードムービーとして有名なドラマ)のメインロケ地(富士見駅とお隣の信濃境駅)、さらには、堀辰雄の小説、『風立ちぬ』の舞台(当時の富士見高原療養所、現在の富士見高原病院―病院脇に資料館あり)です。
でも、ブロンプトンが無ければ遠くへは行けない(あったら小淵沢駅まで走ったでしょう)し、すぐそばにある病院脇の資料館はコロナで休業中だし、おまけに、高所ゆえか、ぽつりぽつりとみぞれまで降りだしました。
富士見駅は、中央本線の中で最も標高の高い駅(955.2m)で、小海線が開業した現在でも、日本10位を誇っているのです。


そのまま駅の待合室で待つことも考えたのですが、あいにく文庫本は鞄の中に入れたままです。
駅前をぼんやりと眺めていたら、甲州街道をブロンプトンで西へ向かった昨年の夏、この駅で下車して、朝ご飯を食べたことを思い出しました。
広くはないけれど妙に居心地の良いお店で、富士見駅周辺の情報がたくさんあって、また来たいと思ったのです。
駅前広場から100mほど下ったそのお店に行くと、幸い開いていました。
このお店は朝7時から13時迄と、朝型営業されているのです。
中に入って、具たくさんの味噌汁をいただきました。
うどんと味噌汁、これで昼食は済みました。
ふと本棚をみると、『富士見高原の民話』(長野日報社 1999年刊)という絵本が目につきました。
読んでみると、地域の古老たちの話を地区別に紹介しています。
一度ブロンプトンで走っているため、旧街道沿いの地区にまつわる昔話は面白く、すぐに引き込まれてしまいます。

余所者にはただの石神さまだったり、古木だったりする木石が、地域の人には子細な事情や教訓めいた言い伝えという形の歴史を背負っているわけで、こうして民話として語り継がれてきた話を記録しようとすることは、未来に伝えたいという気持ちの表れでしょう。

それをこうして列車に乗り遅れた旅人が、ふと入ったお店で読み耽るというのも、何かの縁かもしれません。

もう一度この話の舞台を訪ねるべく、旧甲州街道をじっくり観察してみたくなりました。

本来であれば、こういう話は類似していたとしても、旧街道沿いにはそれぞれにあったはずです。
でも、こうして本として、手軽な資料として読めるものは、東京に居続けたらなかなか目に入ってきません。
だから、東京で流通しない、古本でも手に入らない書籍を、現地の図書館に行ったり、本屋さんや喫茶店に入ったりして読むことは、旅の大切な要素なのです。
いや、転んでもただでは起きないというか、思わぬ事故から良い本に巡り会いました。
喫茶店の女将に事情を話したら、「それは大変でした。でもお荷物が見つかって良かったですね。」と同情してもらいました。
今度甲州街道をブロンプトンで走る時は、石和や上諏訪などの温泉ではなく、こうした高原の小さな宿に泊まるのも良いかもしれません。
そして、こうして知らない人と何気ない会話を交わすのも、失敗のリカバリーになり、生きる勇気になるのだと実感しました。

同じことをいつも学びますが、人生、失敗しないように用心深く生きることよりも、失敗を恐れずに行動し、失敗したときこそ、自分にとっての真実と出会うチャンスなのだと感じます。

「失敗したら二度と再起できないから余計なことはするな」などと恐怖で若者を脅し、勇気を挫くような人とは、旅も人生もともにしない方が、自分にとっての善き人生とは何かを探究でする人にとっては肝要なのではないでしょうか。

 


お礼を述べて、店をあとにします。
外へ出ると、みぞれは強くなって、半ば雪のようになってきました。

なんだかイルカの『なごり雪』みたいになってきました。

『チャリが去ったホームに残り、落ちては融ける雪を見ていた♪

今春が来てボクは長閑になった、去年よりずっとのどかになったァ』
今度は乗り遅れないよう(乗り遅れたら次の列車はさらに1時間後の12時59分です)早めに駅に戻り、もう一度窓口に最敬礼して、富士見駅11時58分発の各駅停車高尾行きに乗り込みます。

電車はガラガラでした。
この列車も松本発高尾行きなので、そのまま乗り続けてゆけば、予定より1時間遅れの14時17分に高尾へ着けるのですが、2つ先の小淵沢で荷物を受け取らねばなりません。
小淵沢の停車時間は1分なので、荷物を受け取ったうえでこの列車に戻るのは無理でしょう。
小淵沢に着くと、みぞれは強い雨に変わっていました。

やはり富士見や信濃境は神話の世界なのでしょう。
ホームから階上へとあがり、改札迄いって事情を話すと、事務室からブロンプトンとショルダーバッグを出してきてくださいました。

何度もお礼を言いながら、身分証をみせて、受取証にサインをし、電車に乗せたまま走り去ってしまったブロンプトンとバッグに再開を果たすことができました。
時刻表を確認すると、次の各駅停車は13時08分発の甲府行き。
結局富士見駅で1時間、小淵沢駅でももう1時間、時間をロスすることになりましたが、私の自業自得ですから致し方ありません。
ブロンプトンは手元に戻ったものの、外は雨脚が一層強くなって、向こうに見える本屋さんまで往復してもずぶ濡れになりそうです。
待合室はあるのですが、この駅も有名なお弁当屋さんが店を出し、そこで食べられるようになっていて、お昼時ということもあって混雑しています。

いや、もうこれ以上腕時計に振り回されるのは御免です。
鞄の中に腕時計をしまうのと同時に、中から文庫本を出して、改札口前のベンチで読むことにしたのですが、ここも小淵沢でかなり寒く、次の電車が来るまで震えながら読書していました。
こんなことなら、スキーウェアを着てくるだった。
(尤も鈍行列車には似合わないし、春になっている家の方に行ったらもっと変ですが)
甲府駅で高尾行きに乗り継ぎ、立川経由で武蔵小杉に着いたのは16時26分。
何とか帰宅の混雑は避けて、降雨の中、家の近所まで路線バスに乗って帰りました。
腕時計の方は、翌日から狂いがさらにひどくなり、1分どころか1時間も1時間半も平気で遅れたり、進んだりするようになってしまいました。
冬で太陽電池が切れかかっているのかも、天日干ししても、リセットして電波による時刻合わせを操作しても、一向に治りません。
というか、これではもう時計の用を為しません。

後日、家電量販店の修理コーナーに腕時計をもってゆきました。
いかにも「理系」な白衣を着た店員さんが応対して、磁石をかざすと、針が大きく振れます。「磁気を帯びているみたいですね」とのこと。
何でもアナログ式のクォーツ時計には部品に磁石が使われており、スマートホンや強力な磁石(のついた機器)電動遊具などに近付けると、磁気の影響を受けて時計が一時的に狂うのだそうです。
それが重なると、今度はベルトも含めた時計自身が磁石化してしまい、自ら狂うようになってしまうのだとか。
そう言われて、家ではスマホやパソコンの近くに腕時計を置いていたこと、たまに腕時計を外してしまうブルックスのバービカン・ショルダーバッグには、蓋を閉めるために大きくて強力な磁石がついていることを思い出しました。
肩に下げたままエスカレーターに乗ると、鞄がエスカレーターの腰壁にピタッとくっついてしまうほど強いのです。
ひょっとしたら、最初に症状として出た1~2分の狂いは、腕時計をショルダーバッグに出し入れしていたことが影響したのかもしれません。


幸い、そのコーナーでは無料で磁気を消すサービスをやってくれるとのことで、「それでも治らなければメーカー修理に出しましょう」ということになりました。
1時間後に取りに来るように言われ、夕食を食べて戻ると、時計は正確になって、中途半端な位置で止まって読めなくなっていた日付表示も、正常な位置に戻っていました。
磁気を消すために電池を消耗したため、5~6時間くらい太陽の光にあててくださいと注意を受けました。
25年も黙って動いてきてくれたのですから、知らなかったとはいえ、磁石で腕時計をいじめていたことになり、申し訳なくなりました。
でも、腕時計を新調するのではなく、こうして古いものを直しながら使うというのは気分が良いものです。
私には時計趣味はないので、その方面の人から見たら汎用品なのかもしれませんが、軽くて、時刻を教えてくれるだけでも、実は日常の安全を担保してくれているのだと、今回身に染みて感じました。
太陽電池のシステム自体が弱ってきているかもしれませんと言われたことも含め、お寺で掃除している時には陽の当たる回廊で、家では電子機器や磁石から離れた出窓で太陽光線に当てながら、腕時計を保管するように、起き場所を変えたところです。
この腕時計、今度もし修理がきかないほどの故障に見舞われたら、感謝の気持ちも込めて、お寺で時計供養でもしてもらおうかなと、本気で考えてみるのでした。