旅はブロンプトンをつれて

旅はブロンプトンをつれて

ブロンプトンを活用した旅の提案

たまには趣向を変えた文章を書いてみようと思います。

だんだん寒くなって参りました。
昔はこの時期になると雪の便りが恋しくて、新聞の積雪情報を毎日チェックしたものです。
クリスマスが近くなると、トナカイに曳かれた橇に乗ってやってくる例のおじさんが恋人、じゃなかった恋人がプレゼントを抱えて雪の街から来るなる歌があちこちでかかるので、勝手にクリスマスは雪景色を想像する人も多いと思います。
別にユーミンの歌を持ち出すまでもなく、おそらく世界一有名な讃美歌「きよしこの夜」も雪という言葉は入っていないのに、山奥の雪深い村のイメージがあります。
あれは南ドイツのオーベルンドルフという教会で、たまたまクリスマスにオルガンが壊れた機会に作曲、初演され、それがオルガン修理技師の手によって、お隣オーストリアのチロル地方にあるツィラータール村にもたらされて、そこから世界中に広まったと、チロルを旅した時に地元のおばあさんから教えてもらいました。
どちらも山深い谷間の村で、クリスマスには積雪のある場所だからそういうイメージで広まったのでしょう。
ただし、キリストの誕生日は12月25日ではありませんし、雪の積もった場所で生まれたわけではないことは、周知のとおりです。
今回は、ユーミンの歌に戻り、あの歌がさかんに流れていた往年の映画、「私をスキーに連れてって」の描写のうち、当時「あれ?」と感じた前半の3点について書きたいと思います。
ユーチューブにあがっていますから、確認してみてください。



○スキー板を剥き出しのまま車のルーフに積んでいる

冒頭タイトルバックの、自宅車庫で車に板を載せるシーンです。
バブルの頃は大学生でも中古車に乗っていたから、若手サラリーマンの矢野(主人公=演:三上博史)がひとり車で志賀に向かうのはおかしくないものの、上級スキーヤーであるはずの彼が、あの状況でスキー板をカバーも被せないで屋根のキャリアに積むのは明らかにおかしいのです。
今もそうですが、雪道には凍結防止剤(塩化カルシウム)がしこたま撒かれており、前の車が巻き上げた水滴で、ルーフ上の板やストックは泥まみれになり、錆びやすくなってしまいます。


道具を大切にする上級者であれば、車に大勢が乗っている場合は、カバーを掛けたうえでキャリアに固定します。
(カバーが汚れるのが嫌な人は、使い古したスキー宅急便のビニール袋に入れていたほどです)
彼ようにひとりで車に乗っているなら、よほど長いスキー板でない限りは、助手席を倒して車内に置きます。
事故に遭ったらスキー板やストックが凶器と化して運転手の身体を貫いてしまうかもしれませんが、当時はエアバッグなんてものはありませんでしたから、みな気にしませんでした。

なお、彼の所属する会社が企画した板を広告宣伝するために、あえてむき出しで車のルーフに積んだという見方も当時からありましたが、その場合はあのように並べて平らに固定するのではなく、二本合わせて縦に固定します。
(現に映画の後半でスキーを積んで志賀から万座へ向かうトヨタ・セリカのお姉さん方は、そのように積載しています)
そうした方が、ロゴが他から見えやすくなりますから。
当時、スキー雑誌の車に積まれている板の写真は、どこの板か分かるように必ず二本まとめて片方のエッジを下にしてキャリアに固定していましたし、スポンサーのついているような選手は、企業ロゴやマークが見えるように、板を歩いて持ち運ぶ際にも、同様の向きで肩に担いでおりました。
(そのような担ぎ方をすると、エッジが肩に食い込んで痛いのですが、レーサーはポール避けのプロテクターがついたセーターを着用していたので、平気だったのです。)


(志賀万座ツアールートの起点、渋峠スキー場の基部)


○「ターンの時ね、内足持ち上げて引きつけてるだろ。あの癖やめた方がいいよ」

たまたま一緒になった二人乗りリフトのうえで、はじめてヒロインの池上優(演:原田知世)と会話する場面です。
最初から技術論をふっかける野暮さを表現したいのは分かります。
内足先端を持ち上げてターンすると、身体が遅れて(後傾するといいます)スピードコントロールが効かなくなるのも本当です。
でも、彼が奥手であっても隣の女性スキーヤーに気がある上級者(仮に硬派レーサーであったなら、そもそも技術についての話題等は持ち出さない)ならなおさらのこと、ちゃんとどう修正するのか、どのような練習をしたら良いのかポイントを教えてあげるのが当たり前で、そういう形でといってナンパするスキーヤーはあの頃たくさんおりました。

(足元だけ映しているところからわかるように、影武者が滑っています。 しっかり外(左)足に乗れていて、わざと内(右)足先端をあげているのは、やっている人が見れば一目瞭然です)


内足をあげる癖がついている人には、緩い斜面でしっかり外足にることから、両足できれいなターン弧を描く練習をしてもらい、それをもっと斜度のきつい中斜面や急斜面に持っていって、それで出来ないようなら、スキー板の長さや硬さがその人に合っていないのです。

「無理に内足持ち上げるな」って、その通りやるとターン弧が大きくなって下手すると場外へサヨナラしてしまいます。
その当時のスキー板は今よりもサイドカーブ(側面の曲線)が緩くて、ちゃんと体重をかけて板を撓ませてあげないと、きゅっとは曲がりませんでしたから、スキーに乗っている(スキーをコントロールしている)というよりは、乗せられちゃっている(スキーにコントロールされている)状態にあるわけです。

後で2人が仲良くなってから、診断してじゃぁ練習してみようかという雰囲気のシーンがありましたから、ちゃんと教えてあげたのかと思いきや、最後までその癖は抜けていない設定になっていました。
もっとも、バブルの頃のスキー場って混雑していたから、きれいなターン弧を描こうとしても、朝一番とか、誰も滑っていない急斜面とか、余程の場所でないと練習出来なかったのも事実です。

(オフシーズンのコースは自転車にとっても気持ちの良い道です)


自分が昔に指導資格取ったのも、女性受けを狙ってのことですが、いざ真面目に指導しようという場面になると、ちゃんと対価をもらって、時間を決めてからでないとうまく行かないのです。
教える方も、教えられる方も、甘えが出てしまいますから。
ただ、彼が上級者であればあるほど、学問同様に、スキー上達には王道が無いことを知っているはずですから、あそこまでお節介を出したのなら、ちゃんと練習メニューを組み立てた回答を出してあげないと片手落ちになってしまいます。
(あとで「内足の癖、直せっていっただろ」って強く出るなら尚更のこと)
これ、相手に気があるとかないとか、その人が異性に対してやり手だとか口下手だとかは、関係ありません。

勉強も、スポーツも、生徒さんが上手く行っていないのにはちゃんと理由があって、その原因と修正方法を指摘してあげて、どうやったらその人が楽しく前向きに自己の修正に取り組めるのかを提案してあげるのが先生の役目です。

その先のやるやらないは生徒さんの問題ですけどね。

(よく見ると、ストックも素人っぽくないし)


○お酒を飲んでスキーって…

当時はレーサーでない都会のスキーヤーは基礎スキーなるものをやっておりまして、バッジテストという級をのぼっていって、1級をとると技術的なことならプライズテスト、教えたいなら指導資格、パトロールになってスキー場の安全を守りたいなら公認パトロール資格と、それぞれの資格試験に挑んだものです。
まさに「スキー道」。
そして、1級くらいになると「スキー教程」という本を読む人が多くて、その巻末にスキー場における事故とその顛末という資料が載っていました。
そこは、交通法規も無ければ、自賠責もない雪上の世界です。
自動車並みの速度でかっとんで、ヘルメットも被っていない者同士で衝突したら、運が良ければ骨折程度で済みますが、脊髄損傷とか失明という事例も多数ありました。

(もちろん単独の死亡事故もありました)
道路のように、飲酒スキーに対する法規制や罰則はないのですが、その代わりに「危険性を認識していたのに飲酒したうえで滑って事故を起こした」ようなケースでは、上級者側が物凄い額の損害賠償を請求されています。



そんな事情を知っている真面目なスキーヤーなら、泳げる人が海の家で食事する時と同様に、スキー場ではビールであっても、ワインであってもアルコールは決して口にしません。
残り半日を滑らずに過ごすなら別ですが。
スキーはああ見えてかなりの汗をかく全身運動です。
喉が渇いたからとお昼にビールなんて飲んだら、一気にアルコールが全身にまわります。

おまけに冬のスキー場は空気が乾燥していますから、余計に喉が渇いてしまいます。
映画では設定も撮影も焼額山でしたが、あのような高所は気圧が低いから、体内の酸素飽和度も低下して、低酸素状態になり、そこにお酒など入れて運動したら、咄嗟の場合の判断力が鈍ってしまうのです。

バブルで何でもありの時代ではあっても、知識を持っていてかつ責任感の強い人ならせいぜいノンアルコール飲料で我慢していたはずです。

(万座スキー場の上部)


こんな感じでしたから、当時観たときの感想は、いくらエンターテイメントとはいえ、アマチュア最高のスキーヤーがプロのレーサーとともに出演・監修しているのに、何も口を挟まなかったのかな?でした。
スキーの車への積み方や、技術的なことはあとでどうとでもすることができましたが、注意一秒怪我一生の言葉通り、アルコールを飲んでスキーだけはいただけないなと思っておりました。
後半にも突っ込みどころはあるのですが、それはまたの機会に。