「愛である」ということ。

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こんにちは。
イタリア在住、
CTNパートナー講師の
ラサール・マウロ・サンジョンです。

CTN統括責任者、
岸英光氏、
妻でありCTNパートナー講師の
プレム・ウダラ
CTN認定講師、
プレム・アカルカ
と毎年5月のゴールデンウィークに
「愛の講座」を開催しています。

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イタリアでの打ち合わせの様子

photo by 愛の講座主催 清水ひとみ


今回のブログでは、
愛の講座を通して、
僕の愛への価値観が
どのように変化したかを
お話したいと思います。

愛の講座で僕が提供しているものは、
各種のトレーニングの中で取得したものだけでなく、
僕の人生においての愛のプロセスも含めて
みなさんにシェアしています。

僕の人生の経験とは、
仕事だけでなく、
プライベートな領域、
例えばカップルとしても、
個人としての体験も含んでいます。

僕の育ったイタリアでは、
愛という言葉の概念は、
家族、教育、社会全体に浸透している
宗教的概念と強く結びついています。

その愛の概念は、
無条件の愛ではなく、
限定的なもの
として捉えられています。

僕がこの限定された愛の概念の中で直面したのは、
例えば、
僕はあなたを愛しています。
だから、
あなたからも愛されたい。
と言った双方向的な愛の形です。
この信念をジャッジするつもりはありませんが、
別の視点から深めていきたいと思います。

僕は、こんな質問と向き合いました。
そして、
一緒にこの質問に皆さんも向き合ってみて欲しいと思います。

「双方向の愛が、愛なのでしょうか。
愛している対象がどうであるか、
つまり相思相愛であることと関係なく、
愛することができるでしょうか。
愛の概念に関して
疑問を持ったことがあるでしょうか?
一方向の愛を
試してみたことがあるでしょうか。」

一方向の愛とは、
僕らが愛する人の奴隷になるということでも、
愛している人から利用されるてもいいという意味でもありません。
常に、
他の誰かの自由を侵害することなく、
自分への自尊心を持ち、
自分の愛しているという気持ちを尊重するということです。
基本的に愛と呼ばれるものを
「必要性のある愛」と「愛である」ことの2種類に分けてみます。

前者は、
他のものに依存し、相手をいつも必要とするということです。
その結果、
無意識に、必要性を満たすためにお互いを悪用し、
支配し、支配されるものとで成り立ち、
お互いを束縛していきます。

現代社会の暗黙の了解に従って、
例えば
女性は女性らしく
男性は男性らしく
という役割を演じることになります。
この種の愛は奴隷であり、
他者への依存です。

僕は、人生の愛のプロセスの中で、
双方向でなくても、
僕の中には確実に愛が存在するという体験をしました。
それはまさに生きている意味であり、
僕自身が愛であるという感覚です。
それは、
愛という「あり方」であり、
あるがままという状態である
と僕は理解しています。

僕の師匠の一人は、
森の真ん中に花が咲き、
その香りを漂わせ、
その花は、
なんて素晴らしい花だろう、なんていい香りだ、
と誰からも賞賛されることもなくても、
その花は枯れてしまうだろうか?
その花は、疲れ果てて、パニックになったりするだろうか?
その花は痛みを感じるだろうか?
ただ花は、咲き乱れ、香りを風に広げ続けるだけだ。

二人が愛であるとき、
彼らは彼らの内側の親密さに触れ、
ただお互いがそこにあるだけだ。
そこには、
個性、
自由、
存在、
センタリング(軸)、
グランディング(地に足がついている)
が同時に存在している。

恋人達は、
そこにあるだけで、孤独感を感じることはない。
むしろ、命と宇宙と調和しているのを感じる。
この調和した愛が存在する同じ宇宙では、
闘争が存在しています。
闘争の中にあるとき、
僕らは、愛であることが難しくなります。
僕らはお互いに背を向けて、お互いを否定しあいます。
そして、相手にネガティブな感情をいだき、憎み合うようになります。
これらの感情、感覚、否定的な状態では、
僕らは一緒にいることができなくなります。
この状態で、僕らに何が起こるかと言えば、
消化器官は緊張状態になり、
マインドがぐるぐるとまわり、
鼓動が速くなり、
コントロールを失ってしまいます。

そして、
僕らは、自分とのつながりを失い、
「愛である」ことから
かけ離れた状態になります。
その状態から繰り出されるのは、
常に闘争につながる振る舞いと態度であり、
そこに餌を与える続けるようになります。

そして、
僕らを愛から離れさせます。
しかし、
僕らが闘争の状態にあるときに、
まさにその瞬間に、
自分の内側に「愛である」ことを
発見することができたらどうなるでしょうか?

闘争の中にあるときにこそ、
社会的信念からきている反応や限界を持った状態と
あるがままで僕らは「愛である」という感覚が
区別されるべきだと思っています。

そこで重要なのは、
僕らはみんな、
自分の感情を自由に表現できること。

大切なのは
感情を表現するときにも
「愛である」
ことなのです。

僕は、
愛のプロセスを通ったおかげで、
仕事や家族の両方で、
意識的に、
反応としての自分なのか、
愛である自分であるのかを区別し、
観察できるようになりました。
もちろん、
時にはすぐに観察しきれないこともありますが・・・。

喧嘩している相手に対しても、
彼らもこの世で幸せになるように最善を尽くしているんだと思えるようになり、
目の前にいる人々に対して、
思いやりを感じられるようになりました。
結果として、
闘争状態に時間をかけずに気づくことができ、
お互いにとって良い結果が生まれやすくなります。

私の命にとっても
健康であり、
健全であり、
幸福であり、
満足がある
という意味で大きな利益になっています。

僕自身もプロセスの途上であるため、
仕事においても友人との関係においても、
必ずしもいつも簡単で美しく区別できるわけではありません。
重要なことは、
僕らが愛のプロセスから離れてしまった時に、
それに気づけることです。

そして、
この愛のプロセスを
継続すること、
体験すること、
成長させていくこと
が重要です。

愛の講座を通して、
僕だけでなく参加者のみなさんが得られることは、
自分自身のあるがままを愛せるようになることであり、
新しい愛の方向や
新しい愛の価値を
身体やハートの声を聞きながら、
創り上げていけることです。
公私ともに人生のバランスがとれるだけでなく、
魂の喜びを深めていくことができます。

この愛へのプロセスを
たくさんの方々とご一緒出来ると
想像するだけでもとても嬉しく、
渡日することを楽しみにしています。

From Italy with Love
Rasal Mauro Sangion

 

 

特別講座「愛の講座」 第5弾~愛の源泉に触れる、愛から生きる~ 2018/5/3(木・祝)-5/6(日)