じぶんを振り返るために過去のことを書いています。
◯山大学に入った私は、いままでのガリ勉生活から一華咲かせたいと思い、フレッシュマン祭で素敵な演技をしていた競技チアリーディング部に勢いで入ってしまいました。
これがけっこう失敗の始まりだったが気がします。
練習は週6もありました。
月曜だけオフ
それでも生活のためにバイトもしないといけない💦
クラップの仕方からはじまり、1年生の終わりにはスタンツが組めるようになっていたと思います。
年に3回東京で行われる全国大会に向けてひたすら練習に励む日々。
学科の勉強が忙しかったし、かなりの体育会系でついていけなかったため、当時のキャプテンに辞めたいと言いましたが却下され、大学2年の11月まで続けました。
大学2年の秋のこと、いつも通り10:30に帰宅して、入浴後髪を乾かそうとしたら体が動かない⋯。
お腹がいたい。
母に相談すると胃痙攣ではないか?といわれ、当時は心療内科とかあまりなかった(わからなかった)ため、どこかの内科かなんかで相談したら
自律神経失調症じゃないかと言われました。
それから2ヶ月休部して、上の代のキャプテンがやめてからやっと退部しました。
今思うとなんで部活ごときでそんな権利あるの?って感じでしたが、当時は部活がすべてで、先輩の言うことが全てって思ってました。すごい狭い見方です。
休部してる間は隠れるように授業を受けて、体育館方面にはなるべく行かないようにしていました。後ろめたくて申し訳ない気分でした。
でも外国語学部に入り、専攻の言語を極めたかったので3年時にアルバイトでお金を貯めて念願の短期語学留学も果たせました。
卒業時にはけっこう話せるようになっていたと思います。
チアに入って、自分の辞める意思をきっぱりと言えなかったことを後悔してます。というかNOといえないのは当時からすでにあったんだ⋯とびっくりしてます。。
ミレニアム直前に県立刈谷高等学校に入学しました。
高校入ったら市内外の優秀な生徒であふれていました。
1年8組で理系も文系もごっちゃでした。
サッカーが有名な高校なのでサッカー推薦で入ってる子もいました。
可愛い子やおしゃれな子も多かったです。
最初のテストでは確か1/3くらいに入っていました。
化学とかが難しくて、でも入ったからには頑張らなくちゃと、片道30分自転車で通い毎日猛勉強していました。
授業の進むペースが速いことと、定期試験が多いこと、宿題が多すぎることに驚きましたがこんなものなのかなと最初の1年はがんばりました。
2年生からは文系のクラスに入りました。
クラスは殆ど女子でした。
文系なのに数Ⅲ.数Cまでやることに驚きました![]()
さすがにここまではついてこれませんでした。
サッカー部のイケメンに心奪われ、勉強はそこそこに恋愛にうつつを抜かしていました。
英語だけは得意でしたが、それ以外はさっぱりでした。
帰りはいつも学習室で勉強していたけど、全然内容が頭に入っていませんでした。
さすがに定期試験でいい点数を取れなくても仕方ないやと思ってあきらめはじめ、自分が何のために生きてるか分からなくなりはじめました。
高3のときは
もう勉強ができなさすぎて勉強の記憶がありません。
センター試験では自校が会場だったのに、生物40点とかすごい惨敗でした![]()
英語は170/200ぐらいでした。
浪人はできない状況のため、2月に愛知大学国際コミュニケーション科と◯山大学の3学部を受けました。
そして前期も後期も国立はダメで◯山大学の外国語学に2000年前半に入学しました。
続く