振り返りのために過去記事を書いてます。
200X年、リーマンショック後の日本に無事到着しました。
が、愛知の実家では歓迎モードではなく、混沌としていました。
父親が地区委員をやっていたのてすが、うまくいかずに反対派の人に嫌がらせの手紙をポストに入れられたりしてかなり病んでました。
当時仕事もリタイヤしたところだったので、外に出ず1日中書類に埋もれた1回の和室にこもり、色々なやんだり、書類を作っていました。
実家についたときの第一声は「おかえりー」ではなく、「お前の自転車と部屋はつかってるからな」。でした。
そして「まさかお前がまた実家で暮らすとは思わなかった。1日も早く自立するように」ともいわれました。
わたしはすぐさま複数の派遣会社に登録をし、仕事探しに取り掛かりました。
でもリーマンショック後で本当に仕事がない。しかもTOEICの点数がオフィシャルでわかるのが1/末なのにわたしは11月に仕事探ししてるから、公式なTOEICを証明するものがない。
貯金残高は0円、常に焦っていました。 家は重苦しいし、快適なカナダとは大違いの古い木造家屋⋯。
12/1とりあえず派遣で仕事は得られたけどおもってたものとちがっていました。某大手プリンターメーカーで外国で使われる英語や多言語のプリンターがマニュアル通りに動くかというチェックする実機チェックというめちゃくちゃマニアックな仕事。だれともしゃべらないし、ブラインドに囲まれた中でひたすらピッ、ピッとプリンターを動かすだけで、すごくつまらなくて落ち込む日々。 派遣の営業さんは「いまここで転職したらあなたの職歴に傷がつくわよ」。と脅してきました。
1月末にTOEICの点数を受け取ったら、ありがたいことにかなりありました。
そこで転職したらかなり英語を活かした仕事できてたと思います。
でも12月に転職したばかりだし、とうじうじ悩んでたらついに不眠が始まりました。
27歳の夏、まったく眠れないどころか、食べれなくもなり、ついに布団からでられないほど痩せ細り、大学病院で「うつ病」と診断されました。
今までのわりかし輝かしかった自分のそれまでの人生から一転、終わりのないトンネルに入り込みました。
父親がねたあと母親に
「こんなことになってしまってごめん。もうわたしたち直れないかも」と泣きついたのをいまでもクリアに覚えています。
つづく
つづく