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父との記憶と、私の中に残る影

自分のことを振り返るために、今日は少し過去の話を書こうと思います。
私の性格や、抱えているうつの傾向は、父の影響がとても大きいと感じています。


私の父は現在84歳。
8人兄弟の6番目として生まれ、貧しい家庭で育ちました。男の子は高卒、女の子は中卒というのが当たり前だった時代。
父の父親はとても厳格で頑固な人で、反対に母親は優しく穏やかな人だったと聞いています。

兄弟の中には幼くして他家にもらわれた人もおり、不慮の事故や病気で40歳を迎える前に亡くなった人もいます。
そうした背景もあってか、父は親戚付き合いもあまりしない人でした。


そんな父ですが、若い頃は優秀で、生徒会長を務めていたほど。
地元では有名な進学校・名古屋市の明和高校に進学しました。

けれど、そこで勉強についていけず、希望していた国立大学には不合格。
そこからの15年間は、まるで漂流するように様々な仕事を転々とします。

・自動車修理工
・トラック運転手
・保険の営業
・社員寮の食堂で住み込み調理
・実家のうどん屋 など

とにかく「生きていく」ために、手を動かしていた時期だったのだと思います。


そんな父が、ようやく人生の落ち着きを見つけたのは35歳のとき。
「結婚したい」という長年の願いを叶えるために母とお見合いをして結婚し、
その後は税理士事務所で見習いからスタートし、最終的には民間企業の経理として働くようになりました(計3社)。

⸻の私の実家は三河地方。いわばトヨタ王国です。
40年前のトヨタといえば、一度入れば一生安泰。
そんな地域性もあって、父の口癖は常に

「大手企業に勤めれば勝ちだ!」

でした。

だからこそ、私が大学卒業後にトヨタの孫受け企業に就職したとき、
父はまったく喜んでくれませんでした。

「大学まで出してやって、お前の実力はそんなもんか」

その一言は、今でも胸に残っています。
私が何をしたいのか、どんな仕事に惹かれているか――そういったことにはまるで関心がなかったのです。

「好きなことをしなさい」ではなく、
「安定した企業に入って、定年まで勤め上げるべきだ」
そんな“教え”を無意識に、でも強く植えつけられてきました。


父が若い頃にとても苦労したのはわかります。
実家に居られず、行くあてもなく、働きながらなんとか自活してきた姿は、本当に大変だったはずですでも、だからといって、でも、私たち姉妹に残した影は深く、今も心の奥で疼いています。
早くその記憶を癒して、前に進みたい。
自分の価値観で、ちゃんと自分を認められるようになりたい。

そう思って、今日はこの文章を書きました。
「大企業に入れなければ価値がない」
「女は結婚して子どもを産むのが当たり前」
そんな価値観を押しつけられてきた私たち姉妹にとって、それは“負の遺産”でしかありませんでした。


特に、父の怒り方は異常でした。

姉が高校生の頃、何かの拍子に怒鳴られ、泣いて自室に逃げ込んでも
ドアをこじ開けてまで怒鳴り続ける。
私に対しても同じようなことがありました。

子どもの良いところを見ようとせず、
自分の価値観から少しでも外れると、許さず、責め立てる。

弱い相手に対しては容赦なく攻撃する、
そのしつこさと執念は、今思い出しても異常だと思います。


父にも辛い人生があった。
それは理解しているつもりです。
でも、私たち姉妹に残した影は深く、今も心の奥で疼いています。
早くその記憶を癒して、前に進みたい。
自分の価値観で、ちゃんと自分を認められるようになりたい。

そう思って、今日はこの文章を書きました。

⭐️30分の昼寝以外はずっとおきれた

⭐️息子の服をかえた

⭐️サイゼリアおいしかった

⭐️久しぶりにおさけのめた