1960年代生まれの働き盛りのオヤジ達よ、立ち上がろう! -4ページ目

ヒット曲って、何だろう?

最近は、AKB48の活躍が突出するように、目立っている。

秋元康さんの、プロデュース法が支持されている証拠でもあるし、演出手法が、色々な地域にも広がっている。


だが、私が年をとったということもあるし、興味がないということもあるのだが、AKB48の曲は、150万枚ものセールスを2枚続けているというのに、印象にないのは、なぜなのかな?と感じるショック!

しかも、どの曲も同じように聴こえてしまうガーン

1960年代生まれの働き盛りのオヤジ達よ、立ち上がろう!


私が、10代の頃といえば、ピンクレディーや、松田聖子さん、田原俊彦さん、中森明菜さん、近藤真彦さんなどのアイドルがヒット曲を連発していたが、興味を持たなくとも、自然と耳に入っていたし、世間の間でも、知っている人は多かったと思う。

90年代のアイドル、モーニング娘。の曲なんかも、知っている人も多いと思う。
他には、小室哲哉さん関係のグループやアーティストが、一世風靡していた。

まぁ、スマップなんかも、いい曲を提供されていることもあるので、知っている曲も多いと思う。
確かに、アイドルは「売れてなんぼの世界」には、違いない。


考えると、2000年代に入って、そもそもアイドルというのが登場したのだろうか?
確かに、嵐など、ジャニーズ系はあっただろう。

また、ベスト10番組などが無くなってしまったし、レコード大賞で、誰が賞を取るのか?、ということにも妙味が薄れてしまっている。

昔であれば、ドキドキしながら見ていたし、レコード大賞を取ったアーティストが、紅白歌合戦に出場して、祝福されていたと思う。


まぁ、今は、CDが売れなくなったし、音楽も、PCなどでダウンロードするのが多くなっている。


そう考えると、印象に残らないのは、AKB48だけじゃないのかも知れない。
例えばヒット曲の年間ベストなどは、年末に伝えられることもあるが、昔なら、あの曲かな?というイメージが浮かんだかも知れないが、今は、言われてみて、「ああ、そうか」などという感じなのかも知れない。

たまたま、年代別ヒット曲ランキング(邦楽)があったので、年代別に見てみると、思い出せない曲の方が多いかもガーン



現代は、情報が多すぎて、処理しきれないと言われている。
だから、人は、自分に興味のあることにしか、関心を示さなくなっているという面もある。

そうであれば、歌の興味、関心も同じで、好きなアーティスの歌は知っているが、興味のないアーティストの曲は、聴いたことがあるという程度なのかも知れない。

確かに、FM802などを聴いていて、印象に残る曲というのは、ヘビーローテーションで、何度もかかっている曲ぐらいかなとも言えるから。


あと、2000年以降に登場して、活躍しているアーティストを見ると、コブクロみたいに、超売れっ子になったアーティストもいるが、どちらかというと、メッセージ性が強い、思いが込められている歌を歌うアーティストが多いような気もする。


去年ヒットした中で言うと、やはり植村花菜ちゃんが歌った「トイレの神様」なんかは、ヒットするのを狙って作られた歌ではないと分かるような、長い曲だし。

また、今年は、東日本大震災があって、やはり応援歌が多く歌われているし。


確かに、ヒット曲というのは、心に残る歌が多かったと思われるが、2000年代以降のヒット曲って、本当に心に残っている曲は、少ないという感じがする。


2001年の9月11日以降に、時代が変わったとも言われているが、それが関係しているのだろうか?


なんか、最近のヒット曲って、韓流のアーティストなんかの曲を聴いていても、ヒットするリズムの組み合わせで作られていると聞いたことがある。

AKB48なんかも、そうなのかも知れない。

確かに、リズムやテンポの良さは、その時は受け入れられるかも知れないけど、心には残らないのかも知れない。


私は、洋楽の80’sは、大好きだったが、90’sは、あまり印象にない。
ユーロビートなんかが流行っていたと思うが、聴けば懐かしく感じる程度で、ずっと聴こうという気になれない。


ずっと歌謡曲などで引っ張ってきた作詞家や作曲家などが、昔みたいにヒット曲を書くのも難しい時代なんだろうと思う。

自然は、当たり前のことを当たり前に進める。

昨日、今日と朝、近所の淀川河川敷を散歩していると、以下のような、光景に出くわした。

1960年代生まれの働き盛りのオヤジ達よ、立ち上がろう!

まず、グランド近くまで、潮が上がっていることに気づく。
そして、その後少し歩くと、次の2枚と遭遇。

1960年代生まれの働き盛りのオヤジ達よ、立ち上がろう!

1960年代生まれの働き盛りのオヤジ達よ、立ち上がろう!

いやはや、ビックリ叫び
こんな場面を、見たことがなかったので、余計だった。


そして、今朝も、以下のような状態だった。

1960年代生まれの働き盛りのオヤジ達よ、立ち上がろう!

昨夜は、おそらく新月で、大潮。


時々、台風の後のように、グランドに、木切れや、葦なんかが打ち上がっていたのは、知っていた。
でも、それはこのような場面を見るまで、こんな形で、潮がグランドに上がっていて、ゴミも一緒に上がっているという、想定はしていなかった。

とにかく、驚くばかり。

これも、自然現象だし、地球と月の重力が関連して、起こっていること。
この潮の満ち引きは、約2週間ごとに、潮の大きさが変わりながら、綿々と続いている。

だから、他の生物なども、この満ち干きによって、育まれている。


また、彼岸花とはよく言ったもので、「暑さ寒さも彼岸まで」という諺があるように、この時期になると、彼岸花を見掛けるし、本当に、彼岸時期に咲くんだなと思い知らされる。

1960年代生まれの働き盛りのオヤジ達よ、立ち上がろう!

これも、自然の力だし、季節が巡り巡って、綿々と続いている。


その自然の流れに、人間だけが沿わずに生きているように思える。

人工と付くのは、自然災害に遭いやすい。
台風で、がけ崩れが起こっている山を見ると、杉や檜林がほとんど。

川の流れも、本当は蛇行しているのが自然な姿なのに、治水という名目で、蛇行を是正し真っ直ぐにすることで、水も一直線に流れるようになり、被害が増大しやすくもなる。

また、暦にも、太陽暦と太陰暦が使われている。
自然に沿う暦は、太陰暦であって、中国なども、未だに使用しているし、農業に携わる人たちにとっては、太陰暦の方が、作物と育てるのには、都合が良いとも言われている。

そう考えると、人間も、自然の一部だということを、再認識する必要がある。

昔の人達は、太陽が出ると共に、活動を開始し、日暮れると共に、活動を止めていた。

現代では、難しいけれど、外に出て、太陽光線を浴び、歩くことで運動をして、エネルギーを使う。
それだけでも、違うような気がする。

人間の尊厳って。

9月23日に放映された「マイケル・サンデル 究極の選択」を見た。

1960年代生まれの働き盛りのオヤジ達よ、立ち上がろう!

新聞のTV欄に書かれていたタイトルは、「ビンラディン殺害に正義はあるか」。
番組を見ていくと、いくつか新たな問題が提起されていた。

進行は、マイケル・サンデル教授で、ゲストに、NYを中心に活躍している日本人が3名。
そして、上海、東京、ボストンの学生が、それぞれ8名づつ参加。

その学生たちに、マイケル・サンデル教授が、問題を提起し、投げかけ、議論を進める。
そして、時々、ゲストにも、コメントを求める。


まず、「ビンラディン殺害に正義はあるか」に対して、上海は半数以上、ボストンは半々、東京は半数以下が、正義と答えていた。

次に、アフガニスタンで、特殊部隊が迫られた実体験について。
4名の隊員が、やぎ飼いに遭遇して、タリバンに通報されるとまずいので、やぎ飼いを殺害すべきか、それとも、民間人なので、釈放すべきかという問題に対しては、東京が殺害が一番多く、上海、ボストンは、少なかった。

そして、911の様に、飛行機がハイジャックされ、多くの人達を巻き込むような事態が迫られている。その飛行機を撃墜するのか、それとも、見過ごすのか?
これは、半々ぐらいに分かれていたと思う。



このような、究極の問いに、どう学生たちが判断を下すのか?

私も、見ながら考えたが、ふと思ったことがあって、日本は、性善説の国。
でも、中国や米国は、性悪説の国だったと覚えている。

そういうDNAがある国の学生たちが、どう判断するのか?

結局のところ、その関係は無さそうだった。

それぐらい、インターネットというのが、世界を近くしているのかと思うほどで、客観的に見ることが出来る人たちが、増えているのかな?と。


最後のまとめとして、マイケル・サンデル教授が、3つの議題が上がったことを示して、締めくくった。

1つ目は、数の論理、結果の論理。

2つ目は、道徳にとって、数は重要ではない。つまり、人間の尊厳、人間を尊重する為の原則の方が大切。

3つ目は、数を超えたもの。人間の尊厳を超えたもの。結局のところ、一番残酷的なテーマとなる。


結局、3つの国の学生たちが、短時間に、色々と語り合い、討論しあっている内に、ニックネームで呼び掛けるようになったりしたことを見て、マイケル・サンデル教授は、

「希望」

を付け加えていた。


非情に難しい時代だけど、共有できる考え方を持っているからだと。

実際のところ、何が答えなのか、正しいのか、分からない時代になっている。

1のまとめに関して言うと、未だに政治は、完全の数の論理だが、フランスでも、上院、下院で、実権を握る政党が変わろうとしている。アメリカも、オバマ政権が、2期目に入れるかどうかも、分からない状況になっている。

それぐらい、人の考えが、その時々で大きく変わるということだし、余計に複雑になっているのかも知れないし、2のまとめとして、人間の尊厳が問われているということなのかも知れない。


日本も、東日本大震災が起こり、世界からどう立ち直っていくのか? 注目されている。
こういう時に、本当に強いリーダーシップを持った人が登場した方が良いのか、それとも調整型の方が良いのか?

本当のところは、分からない。

実際のところ、私は、民主党も、自民党も支持する気はないし、こういう時こそ、ガラガラポンが起こって、政界の再編があった方が、良いような気もする。

ただ数の論理で、政治が動く限り、日本国民にとって、本当に良い方向に向かうとも思えないし。



少し話はずれるが、偶然にも、9月11日から、私は、たまたま今、森達也さんが書かれた「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」を読んでいる。

森達也さんに興味を持ったのが、NHKで放映している「課外授業~ようこそ先輩~」に登場して、オウム真理教の内部を取材して、色々と語っていたからだと思う。

とにかく、一次情報が、いかに大切かを伝えていたと思う。
苦手だと思う人と、実際に話してみると、全然イメージが違ったりして、意気投合することも少なくないはず。

だから、人を通したり、マスコミを通したりする情報ではなく、Face to Faceの情報、つまり一次情報を大切にすることで、新たな発見があるのだと。

変な話だが、20名ほどで、伝言ゲームをすれば、最後に全く違う伝言が伝わったりする。
それぐらい、マスコミ情報というのは、真実を伝えているようで、真実を伝えていなかったりするということ。

幾重にも、情報が重なれば、デマみたいな情報も入る可能性があると言うこと。



その後に、森さんの本を探して、購入したのだが、その本には、日本のオウム事件、そして、911事件以降に、時代が大きく変わったことを書かれている。


森さんは、上記のように、人間の尊厳という言葉は使っていないものの、オウム信者は、ただ一人の普通の人間だし、純粋そのものだと。

確かに、地下鉄サリン事件を起こした人たちも、ただ一人の人間であれば、普通だし、純粋そのもののハズで、洗脳され、集団化すると、あのような惨い事件を起こしてしまうと。


これは、戦場でも同じだろうし、テロを起こす人も同じ心境だろうと思う。
恐らく、追い込まれた人たちは、正常な判断が出来ないだろうし。
実際に、戦場で、一般人を、兵士は殺したりしているのだから。


それにも関わらず、ただオウム真理教というだけで、中身を調べずに、ただ危ない集団だと決めつけてしまう、国の組織、マスコミなどの方が、おかしいんじゃないかとも。

それこそ、人間の尊厳ということを、完全に見失ってしまっている証拠。


裁判一つにしても、マスコミの一方的な視点が論じられ、なんか世論を誘導しているとも思えるようなこともある。


大きく話は逸れてしまったが、人の命は、他人には決めることは出来ない。


今回の話を聴いていて、少しブレストにも似た感じで、間違った方向へ進もうとしていると、教授が説明し直してという感じで進んでいるのが、印象的だった。

やはり、人それぞれ意見を持っているならば、その意見が間違っているのか、正しいのかという視点を捨て、素直に議論出来ると、色々な角度から意見が聞けることを学んだような気がする。


どうしても、自分の意見を押し通そうとしたり、反対意見を言われると、感情的になったりするので、進行役がいることで、スムーズになったり、議論が活発になったりすれば、さらに意見を呼び込むことになるだろうし。