これからは、アダルトチルドレンカテゴリではなく「私の問題」としてこれからは「私のこと」カテゴリで記事を書きます。
昨日、病院で子供の頃の具体的な話をしてきた…30年に渡り発達障害を無視され続けた上に、今でも否定し続ける。
自分の子供のこころの問題よりも世間体ばかりを気にし、小さい時から身体的虐待や人格否定をはじめとする精神的虐待も続けてきた宗教キ○ガイの母親がどうしても許せないこと。
小学校5・6年の時は担任からいじめられていたにも関わらず、それに反論するどころか一緒になっていじめてきた。
本来であれば味方になってくれるはずの存在が私には反面教師であり「敵」でしかなかった。
あの人は結局のところ「普通の子」が欲しかったようで、私みたいに「自分らしさ」を主張し続けたり、独自の行動を取るようなるな「変な子」は嫌だったのかもしれない。
私は子供のころから家庭内でも「孤立」していた気がする、自分の家族という物に対してとてつもない「違和感」をぬぐう事が出来なかったし、私が「性」に対して異常なまでに嫌悪するのも「子供嫌い+恐怖症」の原因を作ったのも…そして夏場でもノースリーブの服が着られないのも、実は母親に原因があるのでは?と思うようになってきた。
それなのにあの人はとても恩着せがましいだけでなく、過去のことなど何もなかったかのように、今でも私に対して都合のいい時だけ「母親ヅラ」をする…私はあの人の暇つぶしのため道具ではない。
この話を病院でしたら、当時の嫌な事がよみがえってしまったようで、昼寝をしていたら…夢に出てきてしまった。
ずっと1人で戦ってきた気がする、パートナーは少しずつだけど今は私の特性に対して理解を示してくれている。
やっと私の味方をしてくれる人があらわれた気がする…結婚して数年は環境の変化になじめなくてメンタルの不調などもあったけど、最近は結婚して良かったと思うようになってきた。
親と物理的に離れることが出来たから。
むかし「日本一醜い親への手紙 」という本があった、その本には親に対する怒りや恨みが沢山つづられていた…私もこの本のように
「母親に対する恨みをすべて書き出して送りつけてやろうかと思っている。」
と話したら、反応が微妙だった…そして、それは「攻撃」だと言われた。
去年「攻撃をしてはいけない 」と言われた事をこの記事を書いている時に思い出した。
ちょっと前に、そんな嫌な記憶を消し去りたいと思い、こんな治療法 に興味があると書いたが、これは例えるなら「直接メスを入れて悪いことろを取り除く手術」のような方法らしい…箱庭療法 でも結構、翌日の反動がひどいのに私に耐えられるのか?
やはり、お話ししていく中で少しずつ自分の気持ちを出していくのが一番精神的な負担が少ないのかもしれない。
許されるものなら「本当に殺してしまいたい衝動」にかられることもある…でも、それは直接攻撃すること以上にやってはいけないことだと言われた、Tomokoさんの人生もダメにしてしまうと。
そして、こんな事を言われた…「なぜそこまで復讐することにこだわるのか?」
自分でもよくわからない、ただ一つ言えることは「それだけ憎い」という気持ちが強いのだ。
これまで私が感じされられたのと同じくらいか、またはそれ以上の苦しみを味あわせたいと考えるようになった…本当に殺してしまうよりも「社会的な制裁」を受けさせたいと思うようになった、その方がより苦しみを味わう事が出来るだろう。
こんな事を書くと「親のせいにするなんて!!」と思う人もいるだろう…そういわれても、私は親(特に母親)が憎いのだ。
私は彼女が死んでもその骨を拾うつもりはない、勝手に死んで自分が大好きな宗教に乗っ取った葬式をして多額の金銭を巻き上げられればいい。
私にとって親とはその程度の存在でしかない…一日でも早く死んで欲しい、そうすれば永久に距離を置くことができるから。
私はいつもこう思っている。
「感謝や尊敬は”されるもの”であって、決して”強要されるもの”であってはいけない」
今日、図書館で母が重くてたまらない という本を借りてきた…なぜか、この手の本が無性に読みたくてたまらない。
この手の本って日本人が書いたのは少ないから、なかなか「これだ」っていう本に出会えないので貴重だと思う。
