最後は被害のかなり大きかった地域「岩手県陸前高田市 」にも行ってきました。
ニュース画像とは違う「今の風景」を紹介します。
途中バス車窓より撮影、この店の他にも多くの店が仮設店舗で営業していた。
ここも被害を受けた、窓や入口はすべてふさがれている。
ほとんどの住宅がこのような状態になっていた。
市役所前に建てられている「市民憲章」の石碑、これはほぼ原形を保っていた。
陸前高田市役所庁舎ほぼ全景、建物は3階建てだが津波はこの建物より高かったそうです。
市役所正面玄関、百数十名の職員が犠牲になった…玄関内部には献花台が設けられている。
正面玄関から見える柱には「捜索終了」の知らせが…この「捜索」とは遺体捜索の事。
倉庫から流れ出てきたと思われる資料はあちこちに散乱していた。
どうやって入ってきたのか?市役所庁舎内には津波で流されたと思われる車が2台あった。
市役所の向かいにある教育員会やホールの入っていた建物、この日ガイドを担当してくれた方は当時ここで会議をしていたらしい…あと数十分終わるのが遅ければ津波に巻き込まれるところだったそうだ。
市役所内部の時計、午後2時10分あたりで止まったままになっている。
海沿いにある市役所近くの「道の駅」これも流されてしまった。
郵便局(集配支店)の建物。古い局舎でも揺れには強い構造になっているらしいが、津波には太刀打ち出来なかった…車やバイクだけでなく、2階部分も流されてしまった。郵便局は低層の建物が多いが局員は無事だったのだろうか?
消防署もすべて流された、取り残された署員たちは火の見やぐらにロープを使って体を括り付けて流されないようにしていたらしい。
住宅があったと思われるところ、かつてここは住宅密集地だった。
海沿いのホテル、一時はかなりの経営不振だったが客が入り始めた頃…あの震災が起こった。
部屋に残されたままのカーテンの一部が風になびいていた。
5階建ての集合住宅、4階部分まで津波はかなり高かった事を物語っている。
海の間近にある中学校、校長の起点により近くの山に避難したため奇跡的に犠牲者は出なかった…このような災害時にはマニュアルに捕らわれない「とっさの判断」も大事だと実感。
途中で途切れた橋と橋脚、橋はかなり奥の方にある。
高校は無事だったが津波はかなり間際まで来たそうだ。
津波はこの町の何もかもを流した、一部の残骸を残すのみである。
残った水門、この町は何度も津波に襲われている。
市役所そばのショッピングセンターと警察署の建物、この近辺は主要な施設が多い。
ニュースにもなった「奇跡の一本松」かつてここは松林と砂浜があった。
この松、かろうじて残ったが根が塩害にあってしまいこの状態を維持するには年間1億5千万円ほどかかる為、今後の処遇が問われている。
上の画像の黄色い建物は浮き上がり移動したそうだ。
市内にはいたるところにこのような「がれきの山」がある、一見片付いているように見えるがまだ分別をしている状態。陸前高田市だけでもまだ1000万t近くのがれきがあるそうだ。






























