カリンニコフ/交響曲 第1番 ト短調 山田和樹指揮チェコ・フィルの溌剌とした音楽 | エッチングでオリジナルグッズを!エッチング工房クリスタルウインド

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知らない作曲家でした。何となく興味を覚え聴き始めたのがこの演奏でした。

 

美しく親しみやすい旋律が次から次とあふれてくるようです。流れの良い音楽。いかにもロシアを思わせる憂愁と若さにあふれた勢いのある曲はとても魅力的。30代前半で夭逝した作曲家の才能が惜しまれます。

そして、この録音の時はまだ30歳を過ぎたばかりだった山田和樹の溌剌とした音楽作り。それに答えるチェコフィル。

 

あまり期待もせずにとても良い物に出会えました。この作曲家の作品をもっと聴きたいと思いますし、この指揮者にはもっともっと素晴らしい録音を残して欲しいと思います。

 

 

「ヴァシーリー・セルゲイェーヴィチ・カリーンニコフ(1866年1月13日 - 1901年1月11日)は、ロシアの作曲家。
オリョーリ県オリョーリ出身。イワン・ツルゲーネフと同郷である。貧しく倹しい警官の家庭に生まれる。後にやはり作曲家となった弟ヴィクトルとともに、少年時代から楽才を顕し、14歳で地元の聖歌隊の指揮者を務めるまでになる。
その後モスクワ音楽院に進むが、学費を納入できずに退学させられる。その後、奨学金を得て、モスクワ楽友協会付属学校(en)でファゴットを学ぶかたわら、セミョーン・クルーグリコフに和声法を、アレクサンドル・イリインスキーに対位法とフーガを、パーヴェル・ブラランベールクに管弦楽法を師事。師のクルーグリコフは後に親友となった。劇場の楽団でファゴットやティンパニ、ヴァイオリンを演奏するかたわら、写譜家としても働いて生計を立てた。
1892年にチャイコフスキーに認められ、マールイ劇場の指揮者に推薦され、それから同年にモスクワのイタリア歌劇団の指揮者も務める。以前からの過労が祟って健康が悪化し、結核に罹患したために、やむなく劇場での活動を断念し、温暖な気候のもとでの転地療養を余儀なくされてクリミア南部に向かう。生涯の終わりをヤルタで過ごした。2つの交響曲とアレクセイ・コンスタンチノヴィッチ・トルストイの《皇帝ボリス》のための劇付随音楽は、同地で作曲されている。
セルゲイ・ラフマニノフが楽譜出版社ユルゲンソンにかけ合ったおかげで、3つの歌曲が120ルーブルで買い取られ、その後《交響曲第2番》も売れた。循環形式を用いた《交響曲第1番》は、作曲者の存命中にモスクワのほかベルリンやウィーン、パリでも演奏されたが、病が悪化していたため1897年の初演にも立ち会うこともかなわなかった。交響曲第1番の出版と35歳の誕生日を目前にして世を去った。ユルゲンソン社主ピョートルは、後にカリンニコフが受け取るべき報酬を増額して未亡人に支払った。」(Wikipedia ヴァシリー・カリンニコフ より)

 

 

 

カリンニコフ:交響曲第1番、グラズノフ:交響曲第5番 ハチャトゥリアン:組曲「仮面舞踏会」

スイス・ロマンド管弦楽団首席客演指揮者、日本フィル正指揮者、オーケストラ・アンサンブル金沢のミュージックパートナー、仙台フィルのミュージックパートナーなど若いながら多くのオーケストラのポストを持ち、ヨーロッパではパリ管をはじめ主要オーケストラから多くのオファーを受けている、まさに「若きマエストロ」山田和樹のアルバム。