あるとき病院に行った帰り
仙台駅のトイレでめまいがして
動けなくなってしまったことがあった。




耳が詰まってきていたから
来そうなのはわかっていたんだけど




だれかお店の人とかに
声をかけようと
思っていたんだけど





ちょっと勇気が出なくて
とりあえずトイレに行けば
吐いても大丈夫だという安心感があって



それでトイレに行った

しばらくしても収まらなくて
どうしようもなく家の人に電話をかけた




お父さんが迎えに来てくれることになり




でも自宅からそこまで1時間30分くらいもかかる

申し訳ないなあと思いながらも
来てもらったときすごく安心した。



デパートの窓口のひととお父さんが一緒に
トイレのところまで来てくれ



そこからデパートの中を
お父さんにおんぶされ車に戻り
その日は実家まで戻った。





この年で人がたくさんいる中
お父さんにおんぶされるなんて恥ずかしかったけど
うれしかった。



お父さんに
「そうゆうときは、駅員さんとかお店のひとに
声をかけて、助けてもらいなさい」って




子どものように言われたけど

そっか~、なんか恥ずかしいのと申し訳ない思いがあって
できなかったけど
大丈夫なんだなあって思って


それからは、勇気を出して助けを求められるようになって
そしたらみんな優しかった




駅の中の医務室や、デパート、地下鉄のなかでも
具合が悪くなると休ませてもらった。


一人暮らしでなければ


もう少し精神的な不安が減ったのかもしれないけど
通うと二時間くらいかかるし


単位もあったから

とにかく休めなかった。


めまい収まれば午後からとかでも
いけたからやっぱり辛くても
学校のことを考えると
一人で頑張るしかなかった。



 

そのときに思っていたことがあるんだけど




友達がパニック障害にその頃なって




はじめてその病気を知ったんだけど

呼吸が苦しくなって
電車に乗るのが怖くなってと言っていて





それを聞いて私も電車に乗って具合悪くなりそうな時も
あったから

いつか乗るの怖いとおもったらどうしようと
思ったことがあった。





でも駅で具合が悪くなって休ませてもらったことがあっても、

そこから怖いから乗るのがこわいと思ったことはなくて



メニエールの場合は、耳の感じでいつくるか大体わかるから
だからこわくないんだなあって思ったけど




その時の急に症状がでたら確かに
怖いよなって思っていた。





まさか自分がのちのちその病名を
言われるとは思いもしなかったけど




このとき思った気持ちが





のちにパニック障害になったとき
わたしになにかをきずかせてくれることになる。



この経験がなければ

今でも私は、パニック障害の症状に

恐怖を覚えていたかもしれない。





病気になってもっと人の優しさも知ることができた。