共鳴する月

 

昨日アップした記事「インスピレーション/高次の思考」は、

 

ちょっと内容が複雑だったかもしれません。

 

読み辛かったという方は意識していただきたいのですが、、、

 

 

 

わたしは「インスピレーション」こそが正しいものであって、

感情や感覚でレイヤーをぐちゃぐちゃにするのは「悪いこと!」

 

言っているのではない、ということです。

 

 

 

 

 

意識のレイヤー構造を知らない人は、

 

何が背景で、何が主役で、何が側面で、何が底面か、見分けられない。

 

 

 

目についたもの、印象に残ったもの、心を波立たせたものが、

 

全てそのものごとの「主役」であって「主題」だと勘違いする。

 

 

ジェリーとクリームとチョコとフルーツの層が綺麗に分かれていなくて、

ぐちゃっと潰れて味が混ざってしまってる。

 

それでその時いちばん強く感じた味で、全体を定義してしまう。

 

 

 

 

わたしがイライラしたから、

 

わたしがざわざわしたから、

 

わたしがドキドキしたから、

 

わたしがきゅんきゅんしたから、

 

 

 

「だからそれはそうなのだ!」と、

 

感情と感覚に一方的に飲まれて、精査も勉強も確認もなく、

それが「事実」だと確信してしまう。

 

 

 

これは、「直観(インスピレーション)」とは全く違うものです。

 

 

 

 

 

感情や感覚の元にやってくる、

「やっぱりそうなんだ!」という無邪気な確信は、

 

レイヤーの境界線を中和し、リセットし、ひとつの混沌へと還元していく

女性性(「女性」ではない)の持つ大切な機能のひとつであり、

必要不可欠なものです。

 

 

ただそれは、「直観(インスピレーション)」ではないのです。

 

 

 

 

私たちが普段「直感」「ピンときた」なんて言い回しを使う時には、

ここが見分けられていない。

 

 

感情・感覚・共感によってそう感じたことと、

 

意図を持った高次の思考・本当のインスピレーションを、

 

同じ「ちょっかん」という言葉で括ってしまう。

 

 

 

 

付き合っている恋人の不貞を鋭く見抜く事を

「女の勘」「女性の直感」なんて呼んだりしますが、

 

 

例えば、恋人の心身の状態に鋭敏でいよう、という意図からもたらされる

「直観(インスピレーション)」によって情報をキャッチしてしまう場合もあるでしょうし、

 

 

そうではなく、恋人のことを考えていたら急に不安に襲われたり、

心がざわざわしてきた=「わたしがこんな気持ちになるってことはもしや・・・」

 

という流れで不貞を感じ取る場合もあるでしょう。

 

 

 

 

感情と感覚によって「そうに違いない!」と感じる方の直感を、

「共鳴」と呼ぶことにしましょう。

 

 

 

実際、それは共鳴しているのです。

 

 

 

 

女性性の力というのは、月という鏡を通して森羅万象の感情的・感覚的エネルギーにつながることができます。

 

 

逆に言えば、繋がってしまうのです。

 

 

 

今日世界のどこかで家族を亡くした誰かの哀切や、

 

虐待されて泣いている子供の心の叫びや、

 

夢を失って生きる気力を亡くした女性たちの悲痛が、

 

 

月を通して流れ込んでくる。

 

 

 

だから急に不安になったり、急にイライラしたり、急に泣きたくなったり、

 

ちょっとした状況の変化に心が乱高下してしまう時、

 

その原因は自分の頭では思いもつかない遠くにあったりするのです。

 

 

 

こういうことは日常的に平気で起きているわけです。

 

 

 

 

もちろん、喜びや笑顔、幸福感といった感情も流れ込んでくるのですが、

 

女性性の性質は、悲しみや痛みを癒したい、共感して寄り添いたいという傾向を強く持っています。

 

 

 

 

「慈悲」という言葉があります。

 

 

悲しみを慈しむ。

 

 

痛みを和らげること。

痛みに共感すること。

それが世界のどこであれ、どんな遠くであれ、泣いている人をひとりにさせないこと。

 

 

それが女性性・月の持っている大切な機能でもあるのです。

 

 

 

優しく甘い、夜の闇。

月の光が包み込み、あなたの痛みや苦しみや悲しみを、秘密に隠して守ってくれる。

 

うずくまる体を抱きしめて、涙を流す時間をくれる。

 

 

 

 

 

さて、こうした女性性の機能を通して何かを確信的に「そうだ!」と感じるとき、

私たちは誰かのどこかの、あるいは自分自身の感情に共鳴しているのです。

 

 

 

 

 

月は太陽が眠っていた長い時代、この共鳴の力を通して私たちの反転した意識と無意識を裏側から繋いできた。

 

 

 

 

 

 

全ての選択されなかった可能性。

 

「これがわたしだ」と太陽が定義した時に、自動的に切り捨てられ、否定されたもの。

 

 

 

本当は「わたし」とは、太陽と月の「はざま」の存在。

 

決してひとつでは成り立たないもの。

 

 

 

わたしという絵を描く時、必然的に背景となるキャンバスが存在しているように。

 

 

 

わたしが右へ行くなら、

必ず同時に左へ進む、「裏側のわたし」がいるのだということ。

 

 

 

「わたし」とは、

 

わたしが「自己」として選択したものと、

「他者」として選択しなかったものの、総体なのだということ。

 

 

 

この時、選択されなかった、否定された、切り捨てられた、レイヤー化されなかった全てのエネルギーが、

「月」という領域に、無意識として、混沌として、貯蔵されている。

 

 

 

だから月は、森羅万象と響きあう。

 

ありとあらゆる痛みと悲しみに、共鳴する。

 

 

 

 

 

 

Crossing

岡崎直子