〜Crossing〜岡崎直子の新時代スピリチュアリズム&フィロソフィア

タロットや星、カバラ、アルケミーなどの伝統神秘学は、ただ吉凶を占うためのものではなく、意識的にあなたの現実を豊かに・幸せに・ロマンティックに創造するためのツール。
あなたの幸せが世界を輝かせる、新しい時代のためのスピリチュアリズムをお伝えします。


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枕草子では「春はあけぼの」ですが、個人的には桜の咲く頃合いは夜が格別だと思っています。

 

 

人肌めいた温度と、闇に白く浮かぶ桜。

空では光る帆船のような月が雲間を渡り、

地上でははしゃぐ子供たちが、一心不乱に家路を急ぐ女の子が、自転車を漕ぐサラリーマンが、

交わることのない人生のひとときをすれ違って行く。

 

 

それだけの普通の光景が、いやに奇妙に思えて、

デパートの灯りすらおもちゃのように幻想的で、

呼吸するたび酔っていくような心地にさせられます。

 

 


よく言われることですが、桜には何か魔的な魅惑があります。

 

日本列島を席巻して行く薄桃色の花嵐は、

「はじまり」のシーズンに不可解な懐かしさと、

もう何度も巡り巡っている人生の迷宮への畏怖と、

そして浮世の全てを内から壊して生まれ出ようとする「新しい何か」への

ときめくような期待をない交ぜにして、人の心を酔わせて行く。

 


「はじまり」は毎年そんな風。

 

タイムスリップを繰り返して、その度に記憶を消されているような、そんな奇妙な感覚。
知っているシナリオを何度もやり直して、今度こそ新しい出口を探っているような。

 


「もしも」をシラミつぶしにしているつもりで。
あの時とは違う、もっとも大胆な選択肢を選んでいるつもりで。

 

混沌。記憶の混濁。

それで結局、私はどこへ向かっていたんだっけ? 
酔っ払っている。

 



魚座の胎動のシーズンを超え、春分という「誕生」を通過し、

再び……あるいは何百万回目かの赤ん坊のシーズン。

 

牡羊座のシーズン。

 

 

語る言葉を持たず、視界もあやふやで、薄れて行く羊水の海の記憶

……前世とでも呼ぶべき記憶……を不安に思いながら、

生まれてしまった諦めを涙と共に流し去りながら、何かをまた始めようとする精神。

 


それは、とっくに生まれて大人になった「今の私」よりもよほど老獪で、

誕生の喜びと言うにはあまりにも苦い覚悟を決めている精神。

 

いくばくもなくこの賢さが人生という日常の中で失われていくことを痛感している賢者の精神。


牡羊座のシーズン、12星座のサイクルのはじまりのシーズンとは、

この消え去りゆく内なる賢者の声に接続するためのシーズン。


何かを始めたその瞬間こそが、

どこへ向かっていたのかをもっともハッキリと記憶しているのであり、

私たちはその声を何度も聞き直さなければ忘れてしまう。


つまり、なぜ、生まれてくることを選んだのか。


牡羊座の精神は、その理由を、酔うような春の奥底で確かに思い出している。
明快な言葉にならなくても、何か衝動のような形として。
あるいは苦い諦めのような形として。

少なくとも、ランダムにここに生まれているわけではないと、

「理由」は「在る」のだと言うことを、牡羊座はしっている。


かつていた美しい世界のこと。
見えなくなってしまった人のこと。
ずっと遠くにある星の故郷のこと。

ああ、痛いな。帰りたくなってしまう。

 


でもだからこそ、「わざわざ生まれてきたことには理由がある」こともまた、確かだと思える。

 

あの至福を、何の理由もなく放り出すことなどあるはずがないから。

 

 


私はこの痛みと、苦さを、もう最初から知っていたんだろう。
何も完璧にはならないことも知っている。

 


だけどこの世界には何かがあって、私には「心」があって、

それが何なのかを確かめなければならないとも、思う。


だからやっぱり、思い出した美しい故郷のことはまた忘れておくことにする。


地上を行き交う人々の、ひとりひとりがその心の奥に美しい故郷を持っていて、

春は少しだけ、その光が浮上してゆらめいている。

 


それは生きることを選んでいるものの、呼吸する光。

 


だから街灯すら、空気すら、スカートの裾すら、

人の意志が介在し、そこに在ろうとするものはすべて、

膨らんだりしぼんだりして発光しているように見える。

 


その光を、ある人は「喜び」や「幸福」と呼ぶだろうし、

またある人は「情熱」や「憧れ」と呼ぶ。

 


私にとってはやはり「苦い痛み」。
でもこの切なさが、私にとっての生きる情熱だし、書く理由だし、

幸福への道しるべであり、幸福そのものだ。

 


人々や「もの」たちのこの光に呼応して、私は生きる活力をもらっている。
1年12星座を一周する原動力をもらっている。

 


やりたいことをやったり、なりたい自分になったり、

至高の自分を思い出して満たしたり、誰かと愛し合ったりするよりも、

もっともっと前のプリミティブなところ。

生まれている、生きている、何かをはじめている、その最初の最初の最初の理由。


薄れゆく記憶の中に。
花に酔った目に映る景色の中に。
それが何なのかを思い出せないまま、恋しく思う心の中に。

 

隠されている「理由」。

そこに何かがあるという「直観」。


それに触れているから、確かに言うことができる。


私がここにいる。
だから何があっても私は生きるし、すべては大丈夫なのだと。


どんな痛みも、わかっていてそれでも生まれたのだから。
だからやっぱり、生まれてきてよかったのだと。


私がここに来た。

だから痛みも喜びも、等しく自分を生きる糧となるのだと。

 

 

 

 

 

Crossing

岡崎直子

 

 

 

 

 

 

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INFORMATION

 

 

 

♦︎5月12日(土)13:00-16:00

都内会場&オンラインにてクラス開催!

 

 

言葉(コトバ)、9・10・8。

日本の精神にとって、

言語と数字そして幾何学は同じ一つのものの別の表現であり、

それらは日本神話の神々の姿を借りて概念化されています。

 

命(ミコト)、3・9・10。

水(ミ)を、小さく(コ)凝縮化し、統合(ト)するもの。

神話の中で、何々のミコトと称される神々とは、一体何なのか。

 

私たち日本人が知っているようで自覚し切ってはいない、

日本精神の特異性と、その高度な幾何学概念について。

 

戦後ほとんど読まれることもなくなった古事記に描かれる日本神話の世界が、

私たちひとりひとりの精神世界にとってどんな意味を持っているのか。

 

創造時代を切り開くキーであり、

人生を花開かせる知恵である「日本精神」はっきりと目覚めさせるために。

 

大切なところをぎゅっと凝縮してクラスをお届けします。

 

https://www.reservestock.jp/events/254330

 

 

 

 

 

 

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エ・テメン・ナキ(バベルの塔)。

 

天にかけるハシゴ。

 

その不遜が神罰を招いたと伝説されるバビロニアの聖塔は、

 

七曜を表す7つの階層構造を持っていた。

 

土星の階、木星の階、火星の階、太陽の階、金星の階、水星の階、そして月の階。

 

ヘロドトスの「歴史」によれば、

 

螺旋形の通路がこれら7つの階層をつらぬいて繋いでいたという。

 

 

 

7、7、7……

 

各地の神話に散見される聖なる「7」は、最古のシュメール神話においても

 

意味深長に、そして情動的にも、伝承を聞くものに

 

強烈なインパクトを刻みつけるように語られている。

 

 

 

例えば、女神イナンナの冥界下り。

 

この神話の中で冥界の女王たる姉・エレシュギカルを訪ねたイナンナは、

 

神門を通過するたびに一枚ずつ、身に付けた衣服や装飾品を脱いでいく。

 

7つの門をくぐったイナンナは最後には裸で、冥界の女王の御前に立つのだ。

 

 

岡野玲子さんの漫画(と呼んでいいかどうか)「イナンナ」で、

 

美しい絵で見せられてからというもの、

 

私はこのエロティックで魔法に満ちた神話がずっと心に引っかかっていたのですが、

 

 

地上の栄華を極めた女神が豪華なドレスや王冠や首飾りを……

 

自身の権威の象徴や、美の象徴や、知恵の象徴を……

 

全て剥ぎ取られて、素裸で死の世界に真向かうという神話は、

 

魚座のシーズンのおしまいに取り上げるにふさわしいとも思うのです。

 

 

 

ご存知の方も多いでしょう。

 

12星座の最後を飾る魚座とは、ひとりの人間の一生を象徴してもいるホロスコープの中でも、

 

「死後の世界」を担当する場所でもあるからです。

 

 

 

私たちは体ひとつで生まれてきて、

 

また体ひとつで死へ帰っていく。

 

 

数々の衣服や装飾品に象徴される、「生きている間の世界」は、

 

まるで幻か、見終わった映画のストーリーのように、切り離されて消えていく。

 

魚座の世界は不思議です。

 

 

 

 

 

By ヨース・デ・モンペル - 投稿者自身による作品 (写真 Paul Hermans),

撮影時期: 2010年10月19日, パブリック・ドメイン,

https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=12062441

 

 

 

 

 

「私は誰なのか?」

 

という、形而上学のいちばんの問いがあります。

 

人生の一番の問いと言ってもいいでしょう。

 

 

 

私たちには、それが自分の「性格」だとか、「性質」だとか、

 

いいことであれ悪いことであれ「自分らしさ」だと感じているものがありますよね。

 

 

そしてその自分らしさのベースから、何かを欲したり、願ったり、

 

あるいは怒ったり悲しんだり、

 

行動したり、逆に行動できなかったりするわけです。

 

 

 

だけど、そうした自分らしさ、あるいは自分の意志だと信じているものが、

 

本当に本当の自分なのかというと、大きな疑問が残ります。

 

 

 

イナンナの神話が示すように。

 

私の持つさまざまな特徴、そしてそこから生まれてくる感情や思考。

 

私らしさだと信じていた多くのものが、

 

衣を脱ぐとともに消え去ってしまうものかもしれない。

 

 

そうなったとき、本当の自分とはなんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以前こんなことがありました。

外国人の友人に軽口で、「全然勉強できてなくて、今日のテスト自信がないよ」

と言ったところすぐさま、

「典型的な日本人の発言だね!」と言われたのです。


とてもびっくりしました。

 



それは、「外国人から日本人ってそういう風に見えてるんだ〜」というレベルの驚きではなくて、

彼がそれを「私という個人の言葉」ではなく

「日本人という集合意識の言葉」だとあまりにあっさりと指摘したからです。


その時の自分の言葉は、まさに何気なく口から出た、

つまり作為のない自然な自分の感情・思考だったわけですが、

それが「典型的」と言われるくらい没個性の……

個人の意識ではなくて「日本人」という集合意識の存在からの

発言だったと気付かされた衝撃です。


 

「自信がなくてすぐ自己卑下してしまう」とか

「何気なく自分を下げる発言をしちゃう」とか

今まで当たり前に自分の性格(それも欠点の方)だと思ってきたものが、

急によそよそしく感じられて、ハッとしました。

 


それは本当に、私の性格だったんだろうか?

だとするとその「性格」をベースに体験してきた今までの人生の、

色々な出来事や、それに対する自分の反応は?


ちょっとしたアイデンティティ・クライシスです。

 

 

 

 

私たちは自分の性格や性質、感情や欲望を、

 

何かコントロールできないもの、逆らいがたいものだと感じています。

 

実際、それは脆弱な意志ではとても逆らえない、強烈なパワーを持っています。

 

「運命とは性格である」という言葉があるくらい、

 

人生を方向付け、出来事を運んでくる、その大元には「自分らしさ」というものがあります。

 

 

 

だけど、心から自然に、自分の内側から湧き出たとしか思えない、

 

感情や感覚、趣味嗜好、欲望、考えが、

 

本当は私のものではなかったとしたら?

 

 

 

 

 

先に答えから書いてしまうと、

 

私たちの個々の独立した意志というのはまだまだ脆弱で、

 

より大きな枠組みを持つ集合意識の存在の強い影響下にあります。

 

 

 

つまり、私が個人としてどうか、ということよりも強烈に、

 

「日本人として」

「女として」

「独身女性として」

「37歳として」

「社会人として」

「本好きとして」

「猫好きとして」

「元編集者として」

「○○ちゃんの友達として」

エトセトラ、エトセトラ……

 

大小さまざまな、私が(全く無意識のうちに)所属している、

集合意識のカテゴリーの影響が、前に出ている、ということ。

 

 

 

 

 

女神イナンナが、一枚ずつ脱いでいった、裸の彼女を包む衣というのも、

 

まさにこうした「魂の衣服」のことです。

 

 

 

そう、私たちは、魂にも……意識にも……衣服をまとっているわけです。

 

 

中には美しくて、胸をそびやかしたくなるような豪華な衣装もあれば、

 

ウエストや心臓を締め付ける、鎖のように重たいものもあるでしょう。

 

 

 

 

2017年の初めに「創造時代」ということを語り始めてから、

 

このブログでも散々「能動的に生きる」ということを強調してきました。

 

 

創造時代2週目の2018年。そのオフィシャルなスタートは3月21日の春分。

 

間も無くです。

 

 

 

春分を前にして、「能動的に生きる」ことの意味を改めて掘り下げて語るならば、

 

魂にまとったさまざまな衣服……集合意識の同調圧力に対して、能動的に生きる、ということ。

 

それこそ、創造時代に本当の自由な個人として生きる意味です。

 

 

 

何か行動を起こそうと思っても腰が上がらないのは、

 

あなたの性格なんじゃなくて、まとった何かの集合意識からの同調圧力なのかもしれない。

 

 

 

日本人には理想的な日本人らしさがあり、

 

女には理想的な女らしさがあり、

 

猫好きには理想的な猫好きらしさがあります。

 

 

 

 

この「らしさ」はコード(命令)を作り出し、

 

個人の行動を支配します。

 

 

 

会社を辞めたいと言っている人はごまんといますが、

 

実際に独立起業に踏み込む人はわずかです。

 

 

 

時代は確かに変わりつつあり、今まででは考えられなかったような

 

自由自在に遊んでいるかのような生き方もアリなんだと脳は認識し始めている。

 

ちょっとの勇気と行動で、人生は大きく花開くのかもしれない。

 

 

だけどそのイメージに向かって踏み出そうとするとき、

 

あるいは歩き始めて数ヶ月の間に、

 

あなたの足を重くさせ、行動を鈍らせ、元の木阿弥にしてしまう……

 

 

 

その「悪運」は、そしてその運命のパターンを紡ぎ出している「性格」は、

 

 

これまでの人生であなたがまとってきた魂の衣、言い換えれば

 

集合意識に対して受動的な関係性から作られたものです。

 

別の言葉で言うなら「同調圧力」。

 

 

それが仕事であれ、恋愛であれ、自己表現であれ、

 

「当たり障りのないように」いなければ、と言う感覚が行動を鈍らせるとき、

 

そこには集合意識の圧力がかかっています。

 

 

 

魚座の海の中で。

 

集合意識という海の中で。

 

眠るように虚ろに、半自動的に群れに同調して生きる魚の意識です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、集合意識の同調圧力から逃れ、自立すると言うこと、

 

集合意識に対して対等に、能動的になるということは、

 

単に魂の衣を脱いで裸になる、だけではありません。

 

 

 

衣を脱いで死の国へ向かうのは、もう一度生まれ直すための最初のステップ。

 

改めて、何をどう、その身にまとうのかを選び直すためです。

 

 

 

 

集合意識というのは、単なる多くの人の意識のカオスな集積ではなく、

 

それ自体が存続の意志を持った、「人間の上位存在」です。

 

生まれてたかが数十年の、個人の意志などよりもよほど強烈な、

 

ものによっては何千年も存続し続けてきた重みを持つ、

 

時にはほとんど天使や神々と同じくらいの力を持った存在です。

(もっとカジュアルな若い集合意識もたくさんありますが!)

 

 

 

 

だから、どのように彼らに向き合い、どんな関係を結び直すのかは

 

真摯に考える必要があります。

 

 

 

親元から自立して、一対一の大人として向き合っても、

 

育ててくれた恩義は忘れない、というのに少し似ているかもしれません。

 

 

 

 

例えば、日本人であるということ。

 

「日本」という集合意識との関係を

 

能動的に結び直すということは、

 

今まで単に、日本という国の庇護および支配の元、

 

その同調圧力に従って、「良き日本人」であるように(無自覚に)

 

生きてきた受動的な関係から一歩出て、

 

 

日本という集合意識に対して、自分がどんな貢献ができるか、

 

そして日本という集合意識から、どんな力を貸してもらえるか、

 

それを自覚的に考えて、行動していくということ。

 

 

同調圧力に100パーセント従うのではなく、

 

それは違うんじゃないかと思うときは、自分のペースを優先すること。

 

かと言ってむやみに批判したり過剰に反発したりする必要もないということ。

 

 

 

つまり、対等な、リスペクトのある友人として、

 

さまざまな集合意識と付き合っていく、ということです。

 

 

 

 

 

 

さて。

 

なかなか新しい感覚なので説明が難しいですが、

 

まず1歩目は、あなたの性格や欲望や感情そのものに影響を与えている、

 

人間ではない、「集合意識」という存在がいることに気がつく、ということです。

 

 

 

 

 

 

3月17日、新月。
そこから3月21日の春分を挟んで、7日間。
 
 
彼岸(あの世)の期間に重なるこの2018年春分に連なる7日間を、
 
私は個人的に「星の火の7日間」と呼んでいます。
 
 
 
冥界(魚座の世界)に滞在している私たちの幼い自我としての太陽が、
 
イナンナのくぐった7つの神門を逆にたどって、
 
改めて何を自分自身として世界に生まれ出るのか、
 
それを決定し直す大切な時間だからです。
 
 
 
ここへ降りてくるときに脱ぎ捨てた、肩書きや名前。
 
あなたの性格や、能力や、夢。
 
一度解かれたそれらとの関係を、結び直す7日間になるはずだからです。
 
 
 
生の世界へ。
 
海から陸へ、生物進化の大いなる謎。

 

なぜ魚は住み慣れた海を捨てて陸へ上がったのか?

 

それは、集合意識という母体の中で育まれた「わたし」という小さな自己意識が、

 

眠りから目覚めたから。

 

 

誰にも支配されない、誰にもコントロールされない、独自の「自由意志を持つ存在、

 

つまり「わたし」が確かにここに存在していることに、気がついてしまったから。

 

 

 

魚座の海から、牡羊座の火(霊)が生まれ直すとき。

 

 めざめの時です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
私はかつて、あなたの一部だった。



 


あなたの目としてものを見て、
 


 

あなたの心として泣き笑い、
 


 

あなたの意志として行動した。


 

 


今私はあなたから生まれ出て、
 


 

あなたに向かい合い、
 


 

あなたに並び立とうとしている。
 
 


 

 

 

あなたからもらった細胞で、私は私を形作る。
 


 

あなたからもらったイマジネーションで、未来を夢見る。
 
 


 

 

 

あなたの一部だった時。
 


 

 

そこには窮屈さと、煩わしさが確かにあったけれど、同時に私は幸せだった。
 


 

 

あなたの考えに同調し、あなたの感情に寄り添って、

 

一緒に生きることは、甘い束縛のようだった。
 


 

 

 

あなたが褒めてくれるなら、それで全てが正義だった。
 


 

 

 


あなたから生まれ出て、私は、さみしい。
 


 

 

自由すぎる世界で、どちらに進めばいいのかも分からない。
 
 


 

 

だけど逆戻りはできない。
 
 


 

 

私はもう生まれてしまった。
 


 

私はここに、「私」がいることに、気づいてしまった。
 
 


 

 

 

あなたと過ごした全ては、もう私の細胞になってる。
 


 

過去は確かに、血肉に変わった。
 


 

だから今日は、前に進む。


 


たった一つでいい。

 

今日、昨日やらなかったことをやる。
 


 

その新しい一歩をまた消化して、血肉にして、進んでいく。
 


 

 

 


理想に近づくためじゃない。


 


幸せになるためでもない。
 
 


 

 

 

あなたがくれたイメージの、その向こう側に行くために。
 


 

 

想像できる未来像の、その限界値を超えて行くために。
 
 


 

 

これはこういうものだという集合意識を塗り替えて行くことができるのは、
 


 

いつだって「自分」しかいないから。
 
 
 
 
 


 

 

 

 

過去(記憶)は物質であり、


未来(これから作られる物質)は、意志である

 

 

 

 

 

Crossing

岡崎直子

 

 

 

 

 

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