まさしく神さまが私たち信じる者に与えてくださったものは、
『偽りのないご自身の愛』
であり、
また
『”信じる者を御自身の子どもとしてくださる”という素晴らしい約束』
です。
それは、私たちが『いのちの主イエス・キリストを長子とするいのちの系図』の中に組み込まれ、脈々とその中を流れ続ける”いのちのみことば”(すなわち健全な教え)によって育まれ成長する『いのちの道』なのです。
それではどうして、すべてのキリストの教会はそのかしらに十字架を掲げているのでしょう?
それは、十字架に掛かられたイエス・キリストのいのちにあって、信じる者にとっては救いのしるし、信じない者にとっては永遠の裁き(救いのない、この世での苦しみ悩みの道)のしるしとなるためなのです。
これは、信じる者がどういう生き方をするのかも、預言しています。
つまりいったん「信じる」「赦す」「愛する」と言ったら、とことんそうし続け、最後は見えない神さまの愛によって救われ解放されて、そして更に満たされてもっともっとそう出来るようになる、ということです!
何という事じゃ!!