ある意味で、私が通う老人介護施設は

『一つの新しく出来た教会』ということができると思います。

 

 

私という一人のクリスチャンが語った福音を受け入れて歩んでおられる方々の集まりという意味で、

また私という一人のクリスチャンが信仰によってキリストの教会に於ける礼拝に繋がり続けることによって、

この私が日々に与えられる祈りと礼拝の力によって続けて福音に生きることを通して、

 

そう言えると思うのです。

 

 

 

このように歩んでいますと、だんだんに日本の宣教の姿が私のために開かれて行くように最近感じています。

 

 

 

若いときは「何だ、歴史の勉強なんかどうして面白いんだ!」となってしまうほどに日々の勉強をおろそかにして解らなくなってしまった歴史の勉強が、今、キリストの十字架によって開かれた道を書物で拾い上げることを通して面白くなって来ています。

 

 

今、この日本という国と一緒になって歩いているという感覚が浮かんできます。

 

 

 

先の20年間をレールから外れてさまよい歩いたイスラエルの捕囚の民のように、

その後の20年間を罪人の自分についに死んで聖書の神をまことの我が救い主として受け入れ決心して歩み出した新しい赤子からの歩みとして、

そして来年でそれから先の歩みが14年になります。

神の定めた運命の道を歩みます。

 

その先に、復活のイエスさまが居られると信じます。