さばきには、相手があります。
たとえ、「そのさばきが神さまから出ている!」と私が言ったとしても、そこに私が絡むことによって相手は”語ったところの私”を見ます。
つまり私が相手の試みを受けることになる訳です。
しかしです!
イエスさまは、御自身を信じる者にこう言われます:
「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
すなわち、私自身に出来ることとは、「神が成し遂げた道に自身を併せ寄せ続けること。」それしかないのです。
たとえ私たちが「否」とされても、神は「しかり」であるとすべきです。
アーメン。