教会に着いて先ず祈り始めるとき、その祈りはとても嬉しく、また楽しいものです。
なぜなら、日々祈り仕えている自分の神さまが、この神のお造りになられた場所(教会)で御自身が『変わらない主』であられることを祈りに応えて現わして下さるからです。
あとは、神なる聖霊さまに聴きながらメッセージの時間を過ごします。
そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。
この聖書のみことばは、今の自分にとって慰めになります。
さて、「聖霊がその人にとどまっている」とはどういうことでしょうか?
このシメオンという人について言えば、この人はこの後、『神の摂理』つまり聖書の真実に従って”幼子なる救い主イエス様”にお会いするのです!
心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。
彼は、この救い主なる方を以て神さまを礼拝し、祝福の言葉を述べるのです。