「君たちは、知っているだろうか?」

 

  • この同じ日本で、ふとすれ違っただけで「この、無礼者!」と言われて、持っている刀で、人前で堂々と、人が切り殺されていた時代を。

 

「知っているだろうか?」

 

  • 一人の大名の疑いとプライドのゆえに、気まぐれに心変えられたあおりを受けて、沢山のキリシタンが様々な形で殺された歴史を持っていることを。

 

 

 

今日は、こんな話をおばあちゃんと一対一で話したのでした;

 

「殺されていくキリシタンたちが『イエスさまと同じ十字架に与るのなんて、なんて素晴らしいことだろう!』と叫んで自ら殉教していっただよ!この事実を、どう思う?人間から見たら、まさに気違い沙汰だとは思わないだろうか!」

 

という様に最初は話していたのです。

 

 

 

 

その先に「自分は殺されるの?」と言って泣いておられるおばあちゃんに気付きました。

 

(実はそのお話をカーテン越しに、隣で聴いておられたのです。その時は、ボクは全くそのことに気付いていませんでした!)

 

そうして続いてこう話しました;

 

昔の時代にはたくさんの殺された人たち(キリシタンたち)がいたけれども、たましいは死なずに今居るボクたちと一緒におられるんだよ!

そうしてこう言ってるんだよ:「私たちの時代には、沢山の人が殺されたけれども、でも私たちはあなたとともにいてあなたを守るからね、あなたはかつての私たちのようには殺されたりはしないよ!」。こう語ったときに、そのおばあちゃんは恐れから解放されたのです!

 

 

神の摂理の中でただ導かれて語った私は、このことについて「私自身の知らないで語った」ということを知っております。

 

 

 

神は知っている者に働かれるのではなく、御自身を信じる者に働いて下さるのです。