とある建築家の方の本を読んでいて、そこに「弟子を育てる」ということについて書かれている所がありました。
読んだ後しばらく考えています。
この国日本では、6・3・3・4年の教育システムが成立しています。
この教育課程を経てまたは選択によって職業課程に入り、実社会に出て行きます。
(ボク個人のケースで言えば、最後の4年の過程で引きこもりに陥ってしまいました。その後、実社会への引継ぎが上手く出来ず苦労しました。)
そして今回の初めのケースは、いうなれば「徒弟制度」と一般には言われているものと言えるのでしょうか。
社会の中で生き抜くための技術と心得を棟梁から仕込んでもらう(この表現がふさわしいかどうか、不安ですがこう書きます)こ
とで、ひとつの”生きた社会”が形成されているのです。
その「生きた社会」を健全に守っていく立場としての棟梁さんが、自身声を上げられたところの書をボクは読んだのです。
まず、この本を読ませていただいてまず思ったのは「この国は”木の国”だなあ」と感じたことです。
「木を扱うことを通して、それらの様々な癖に出会い、調和の取れた性質に出会い、しかし「それらを活かす方法」をいにしえの生きた模範(いにしえからの建造物)を通して見いだし、それをひたすらに守り引き継いできた」
と棟梁は語ります。
これと似たような話が、聖書の中にあります。
レカブの子ヨナダブが、酒を飲むなと子らに命じた命令は守られた。彼らは先祖の命令に聞き従ったので、今日まで飲まなかった。ところが、わたしがあなたがたにたびたび語っても、あなたがたはわたしに聞かなかった。
イスラエルの国を忍耐をもって導いてこられた神さまが、一人の預言者を通して唐突に「レカブ人を連れて来なさい」とイスラエルの指導者に命じられ、試みを置いた先の結果をもってご自身で語られるのです。
『正しい教え』を信じて自身のものとしそれが引き継がれるところは、必ず正しい所に継ぎ合わされると、ボクは信じます。