お父さんから多大なる身代を戴いた息子は、それを旅先で湯水のように使い果してしまう。
しかし、息子が遠く離れている間も、父親は息子の帰還の日を待ち望んでその席を用意し続けていた。
もう一人の息子は、父親の下に留まっていたが、そのような父親の気持ちを察することはできないでいた…。
ならば、そのような父親の思いに自分の思いを合わせることが出来たならば、どうだろうか?
すべてが父親によって、彼への祝福に満ち溢れている様子を見て、もうひとりの息子は一緒に喜べるだろうか?
父親への感謝は、人間として当然すべき姿であろう。
「栄光、主にあれ!」
(追伸: これは、私個人の思いから、記されているものです。)