クリスチャンになってから、
しかしまだ自分の好きな女性への思いの方が神さまへの思いよりも強かった頃、
神さまはそんな私の思いを否定されずに認めながらともにいてくださいました。
でも、時が来て、罪が罪として裁かれました。
それで、私はどうしても神さま第一の生活への転換をしなければならなくなりました。
そうして、今に至り今はその神さまとの交わりを第一にする歩みを自身喜びとしています。
ただし過去の間違った歩みにおいて、「暗闇の力により導かれるところとなる余地があったら取り除いてもらいたい。」―
これが、私の思いの一つです。
それで実際に振り返ってみて思うのですが、
その頃はお互いに相手の事しか見えなくて自分が相手のためにひたすら頑張ろうとしていたような気がします。
つまり、口では「神を敬う」というのですが、実際の行動は神さまを横に置いてしまっていたように思います。
その時その時において、
自分のために骨折ってくれる人の忠告に聞き従って身を低くし、ただ自分の置かれた所で自分のベストを尽くして頑張れたら、
素直に神さまに向かって感謝が出来ると思います。
毎日そう出来たら一番良いのだなって、今は思います。