今日は、CGNテレビに出ておられる天野弘昌先生のメッセージに、主にあって釘づけになり、祈りの課題を与えられました。
それは、
「『主とつながっている』という信仰があるならば、もっと大胆に祈れ!」
というものでした。
ボクを救いに導いてくれた牧師先生は、かつてこのようにおっしゃって下さっていました:
「教会を見るとき、まず牧師先生を見なさい。
それから、牧師先生に対する裁きの罪を犯すことのないようにしなさい。」
つまり、「キリスト教会において、『100%献身してキリスト御自身に仕えておられる器』を通して、神さまからの霊の働いておられるのを知りなさい」ということであったと思います。
今現在、
自身仕えている教会において、献身の働きをしておられる方々の只中に働いておられるキリストの聖い聖霊さまの働きを追い掛けて、厳格に仕えるべきお方をいつも祈りの中で探っていたように思います。
しかし「もうそれが分かっているのなら、さらに大胆に信仰を持って祈って先に進んで行こう!」と天野先生はメッセージで語って下さっていたのです。
『石橋を叩いて渡る』ということをせっせと行っていた私にとって、これは『目から鱗』でした。
「最近、仕事場の同僚と心割った話をしていないなあ」と思っていたのでした。理由は簡単、『神に願わないから』でした。なぜ願わないのか、それは教会での祈りに入っていけていない自分は他の人のためにも祈れない、という間違った考えに自らを縛っていたからでした。
教会の権威とつながっているという信仰があれば、それでよし。さらに大胆に信仰を持って外で祈るべき祈りを大胆に祈りなさい、ということでした。