今日は、イエス様のみことばを拝して、改めて衝撃を受けました。

 

「木にかけられる者はみな呪われている」と書いてあるからです。

 

『一生十字架に掛かられ続ける』、という代償をイエスさまは私たちに対して負われたのです。

 

それに対して、「自分は、イエスさまの御前に犯した罪のために当然、十字架に掛からねばならない存在である」という思いを、まず自分は考えてしまいます。

 

 

しかし、神さまはまるで違うことを、私におっしゃられるのです。

 

 

1.神さまが見ておられる視点で、自分自身をよく見て自ら判断すること。

 

2.そこに平安があるなら、それを信仰によって握り、神さまに絶えず訊きながら進んで行くこと。

 

3.ただ、自分が右や左にそれて、信仰が曲がったり、そうしてつまづいてしまうことがないように、成して下さる神さまの御心を只々感謝して受け続けること

 

4.神さまが備えて下さる”御自身が立てられた人たち”を受け入れ、彼らとの主にある交わりを通して自らの成長を目指して進んで行くこと。

 

 

つまり、

イエスにこそ、集中しなさい。

他の重荷はわたしが背負った。

あなたは自分に課せられた歩みに集中しなさい。