生駒山に登り切ってから、だいぶ落ち着いてしまいました。

 

ホッとし過ぎて外に走りに行く気力がなく、家に居て、あとはひたすら祈っています。

~ボク自身にとっては、本当にこのことは大きかったと思うんです~

 

 

生駒山は、昔は女郎の方々が沢山おられたのだそうです。

中には本当に頭が病んでしまって、まともな生活が出来なくなってしまった人たちもいて、それでも独りで生きていくのが辛くて、それで誰かに頼ってしまう、という反復を繰り返していたということを手記か何かで読んだことがありました。

 

壮絶な人生の積まれたところに、憂歌団というバンドの演奏する『いこま』という歌との出会いがありました。いい加減に「覚えやすいから」と歌詞を覚えていて、その頃アルバイトで勤めていた会社の忘年会で、酔っぱらってひとり大声で歌ったのです。そうするとみんなが気に入ってくれて全員で盛り上がったことがありました。でも…。

 

それ以後、「女性のことでこれほど苦しまんなあかんのか」という位にクリスチャンになってから苦しみました。「自分が言い加減に”深い淵”に近づき過ぎたんや」とも思いました。

 

 

結婚して、そのことをしばらくは忘れていたのですが、また、そのことを覚えるようになって来ました;「まだ、癒されていないんや」

生駒山に登ろう」とふと思って、それでも「登れない」となったときには、心がひどくマイナス思考になっていくのを感じていました。

 

仕事で行き詰まって三カ月の休養に入ってから、最初はひどいうつ状態でした。

しかし二か月目に入ってからジョギングを目指して歩けるようになり、さらに三カ月目に入ってからは祈ることが出来るようになりました。外に出て行き始めて、最後にもう一度、今度はしっかり計画を立てて生駒山に再チャレンジをしました。

 

自分の肩に掛かっていたあらゆる重荷が思い出されて、それがすべて下に落とされるのを感じました。ホッとしました。神さまがあとは成してくださる、と感じました。

 

 

「ホッとしながらも、一歩づつ、嚙みしめて前進できるように」。願いを込めて。