乳腺コンシェルジュ かよこのブログ

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乳がんを患いアートセラピーで自分を癒すことができた経験と知識を語ります。約10年の病院勤務で培った「患者さんの心」の理解を大切にします。健康な女性も予防をかねて御覧下さい。

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【乳腺コンシェルジュ かよこ からの心と身体の情報ブログ】
身体の一部を失っても女性らしく自分らしく生きたい。 ハンデを乗り越えて!

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父と大阪万博へ

 

 

大阪万博の頃は、私は幼稚園児でした。ちょうど母のお腹には妹がいたので、私はいつも父と過ごしていました。私の通っていた幼稚園が、万博に鼓笛隊として出場することとなり、その日も父に連れられて参加しました。京都に住んでいたので、幼稚園児にとって大阪万博までは遠かったのです。

 

幼稚園でどの楽器で出場するか決める日に、身体が小さかった私は、ベルを希望したのですが、希望者多数のため違う楽器にまわされたのです。小太鼓でした。太鼓を腰に付けるのが重くてなかなか練習が思うようにできなかったことを覚えています。

 

写真では右側の白い色の太鼓が私です。↓

 

 

 

大阪万博日本万国博覧会(にっぽんばんこくはくらんかい、英:Japan World Exposition, Osaka 1970)は、1970年3月15日から9月13日までの183日間、大阪府吹田市の千里丘陵で開催された国際博覧会。 アジア初かつ日本で最初の国際博覧会(General category:一般博、現・登録博)であり、当時史上最大の規模を誇った。略称は開催地・開催年から大阪万博あるいは70年万博、一般的な英語表記としてはEXPO'70が用いられた。また、日本国内において単に万博あるいは万国博とも略される(本項の記述にも用いる)。主催は、財団法人 日本万国博覧会協会。博覧会の名誉総裁は当時の皇太子明仁親王、名誉会長は当時の内閣総理大臣:佐藤栄作(ウイキペディアより)

 

 

 

たったふたつの思い出

 

 

 

 

今でも当日のことをふたつ覚えています。

 

ひとつ目は、大きなホールを鼓笛隊で演奏しながら園児たちみんなで練り歩いているところ。

坂本九さんがテーマソングを熱唱されている時でした。

 

大勢の観客が私たちの方を見ていました。一生懸命太鼓をたたきました。

 

ふたつ目は、帰りのバスの中です。

真っ暗になった深夜12時に帰りの観光バスに乗っている風景を覚えています。

大勢の人の前に出たことと、夜中にバスに乗るという体験は幼い私にとっては大変な出来事だったことでしょう。

 

でも、父がそばにいたことはなぜか覚えていません。

 

生前、この頃の事を一緒に話したことはなかったですが、父にとっても良い思い出になったことでしょう。

どんなことを感じたか、聞いてみたかったものです。

 

 

 

あとがき

 

 

大きくなって、たまに友達同士で「万博行ったことある?」などと話題になることがあります。友達は家族で色んなパビリオンを回ったり食事をして楽しんだと言います。でも、私は全然パビリオンは見れなかったし、食事をした記憶もありません。きっと、鼓笛隊の練習や本番で忙しかったのだと思います。

 

すこし残念ではありますが、人とは違った思い出ができて良かったのかもしれません。

 

この場を借りて、当時の幼稚園の先生や父に感謝します。

 

そして今度は、半世紀後の2025年に行われる大阪万博に、自分の子ども達と参加できるよう身体に気を付けて過ごしたいと思います。そして、父の分も楽しめたらと思います(^^♪

 

 

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突然の父の死

 

私の父は、先月この世を去りました。享年87、満86歳でした。自宅で誰にも看取られることなく布団の中で亡くなっていました。しかも私が実家の近くへ引っ越す前日に・・・

 

父は、起業家として昭和と平成を生きました。私は長女としてその生き方をずっと見てきたのです。自分と父との思い出をこのブログに書き綴ることで親孝行をできなかったせめてもの供養とします。

 

さあ、連載のスタートです!記憶を紡いて書いてみたいと思います。

 

 

 

公務員だった父はある日突然退職を

 

公務員の父は私が4歳の頃、母にも相談なく突然退職しました。理由は「朝早いのがつらいから」。

「それだけ?」と思ってしまいます。家族に夢を語ることなど一度もなかった無口な父の本心は今ではもう迷宮入りです。

 

とにかく安定を捨て、チャレンジを選んだのでした。

 

 

ふたりの気分転換

 

公務員を辞めた父は、独学で司法試験を勉強しました。自宅での勉強は大変だったと思います。父が勉強をしている姿は全く覚えていないので、邪魔をするであろう小さな私は立ち入り禁止だったのでしょう。

 

でも、よく私を連れて気分転換に出かけていました。今ではネットでも購入できる本・・・お金が無かったのか古本屋さんを一日に何軒も回りました。「えー!今日も古本屋さんか」といやいや付いて行ったのを覚えています。私にとってはとても退屈なお買い物でした。

 

(今も書斎に生前読んだ数千冊の古本があります。私の数百冊なんて足元にもおよばないのです。)

 

自転車で若草山へも行きました。子供用の椅子もない時代。私は自転車の荷台に乗せられお尻は痛いしスピードが怖くて父の背中にギュッとしがみついていた光景を思い出します。

 

そして家では音楽が好きだった父が、私のためによくギターを弾いたり歌を歌ったりしてくれてその時間は楽しかったものです。

 

チャレンジ精神

 

幼い子どもがいる家庭を持つ身でありながら、すっぱりと仕事を辞め勉強に励んだ父の決断は、本当にあっぱれだと思います。自信もあったのでしょう。1年後には見事試験に合格しました。落ちていたら夢をあきらめ、家族の幸せや今の私もなかったかもしれません。

 

子どもが親のことを認めるのって気恥ずかしいもの。私は特に幼少時代は引っ込み思案で甘え下手でした。

年を重ねるごとに自分も父に似ているな~なんてよく思うことがあります。

 

母から、私は急に物事を始めたりすると言われますが、そういうところがきっと父に似ているのかもしれませんね。

 

 

あとがき

 
このように昔のことを思い出していると、人生はやはり長いな~と感じます。セピア色の記憶がよみがえります。
50年間ひとさまのために働き続けてひとり逝った父、もっと昔の想い出話を一緒にしたらよかったと今更ながら思います。
 
最後の2年ほどは認知症を患い、「足が動かなくなっても這ってでも働く」と言っていたけれど、頭はだんだん仕事ができない状態になっていきました。
 
認知症でも昔話を言ってあげたら喜んだかもしれませんね。
 

 

 

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