昨日からTSUTAYAで借りて、
ついに「ゴールデンカムイ」を
読み始めました。

 

数年前から凄い話題で、
ヒットしているのは知っていましたが、
なんとなく読み始めるきっかけがなく、
ついに今日に至ったのです。

 

遅れた一番の理由は、何といっても、
「ゴールデンカムイ」というタイトルです。

カムイといえばやはり「カムイ伝」
白戸三平の不滅の金字塔のイメージが強く、
同じマンガ業界で
カムイの名を名乗るのは、
そうとうな覚悟が要るというか、
僕にとっては畏れ多いというか、
そんなような有形無形の
拒否感のようなものがあったのです。

 

もうひとつはヤンジャンに
連載されているということ。

 

集英社のマンガ制作と
東映の映画制作に関しては
僕にとっては賛否両論で
どちらもとにかく売れること、
ヒット作を出すことが最優先とされ、
結果的に利益を回収するためには、
多少の整合性は無視されるという、
利益至上主義に
時には辟易してきたからである。

 

例えば「仁義なき戦いシリーズ」は、
第4部までは非の打ち所のない、
世界に誇れるシリーズだったのだが、
第5部完結編で、第2部で千葉真一が演っていた、
大友勝利という人物が宍戸錠によって演じられたり、
室田日出男が演じていた早川という役も
別の役者によって演じられたりしており、
その残念感は半端なかった。

 

そして「網走番外地シリーズ」
当初は男ばかりの地味な脱走映画だったため、
東映の期待は薄く、モノクロ制作だったが、
予想外にヒットしたため、
急遽作られた第二作の駄作っぷりは、
高倉健さんのフィルモグラフィーに
消すことのできない汚点を残したと思っている。

 

このように東映というのは
酷い会社だったわけだが、
集英社のジャンプ系列にも、
常々同じような匂いを感じていたのである。

 

やはり「ゴールデンカムイ」には、
そのような粗暴な匂いもしないではないのだが、
例えばアイヌに関する考証でも
「カムイ伝」や
手塚治虫の「シュマリ」などよりよっぽど詳しい。

 

結局娯楽エンタメは
大衆文化としても
サブカルチャーとしても
中心で王道でなければならないのである。

 

そもそも「娯楽エンタメ」と
「大衆文化」と「サブカルチャー」という言葉を
明確に区別する定義などないのだ。