ケインズ・ハイエク・シュンペーターなどと同世代の
ポランニーは、19世紀的市場経済の行き詰まりから、
20世紀の激動の時代に生きたハンガリー出身の
社会科学者と分類される。


60歳を超えて、「大転換」「初期帝国における交易と市場」
「人間の経済」など、「社会における経済の位置」という視点から、
市場社会の危機とファシズム台頭との関連や市場社会と
人間の自由との関係を議論し、自由を効率の犠牲にしない
産業社会の可能性を追求する著作を残した。


ポランニーは、1930年代の長引く世界経済の停滞と危機の中で、
普通の人びととの生活の破壊や犠牲を強いてでも、
市場システムの競争秩序をより強力なものにすることで
危機の打開を図ろうと主張する経済的自由主義に立ち向かった。


彼は、そのような主張を「市場ユートピア」の企画として
注意深く分析しつつ、普通の人びとの生活再建を伴う
社会経済制度の諸改革が不可避であることを明らかにしようとした。


経済的自由主義(市場原理主義・新自由主義・単にネオリベとも)の
市場ユートピアが作り出す危機に生涯を通して対峙したポランニーは、
歴史的・経済的・政治的・社会哲学的な深い洞察に基づく
類例のない市場社会論を構築した。


ポランニーの命題は、以下の6つから構成される。


1  市場経済の拡大は人間の福祉と共同社会への脅威である。

2  市場経済の拡大がもたらす脅威に対して、
   さまざまな社会の自己防衛運動が動き出す。

3  市場社会は自然の産物ではなく政府の干渉によって構築された。

4  市場社会の許容する民主主義は制限されている。

5  市場社会が保障する平和は脆い。

6  市場社会の自由は制限されている。


ポランニーによれば、19世紀の市場社会は自由な社会ではなかった。
それは、利益と繁栄を作り出すことに主眼を置き、
市場の機能を円滑にさせることにもっぱら神経を尖らせた社会であって、
自由は意識的に追及されたのではなく、あくまで副産物であった。


また、19世紀の市場社会は、人間の作り出した制度や
システムであるはずの市場を人間が制御する仕組みや手段、
より根本的にはそのための思考が奪われているという意味で、
不自由な社会であった。


市場社会が引き起こした通貨暴落や解雇といった
経済的苦難は人為的な問題ではないとされ、
個人にできることは自らの受難にただ耐え忍ぶだけで、
他者の苦難に対しては関係がなく目をつぶるしかない、とされた。


このような市場社会は、ポランニーから見れば不自由な社会であるが、
経済的自由主義者が市場社会に見出すのは
どんなことでもすべて、市場の予定調和的諸力による(諸個人にとって等しく)
抗いがたい結果として、形作られたものだからである。


自由な社会を維持しようとすれば、人間は市場がなしうる以上の事柄を
期待すべきではないというのが、経済的自由主義者の基本的立場であった。


したがって経済的自由主義者によれば、国家のなすべきことは
市場がなしうることを後押しすることだ、ということになる。


ポランニーは問うた。


経済的市場主義者の市場ユートピアの企画に従って
社会をよりいっそう市場社会に従属させることで危機を乗り切るのか。


それとも、市場経済を社会に埋め込み、普通の人びとの生活の安定や
回復を保障する諸制度の構想と実践をめざす方向に歩み出すべきなのか。


『大転換』によれば、これは、繰り返される市場社会の危機の中で、
ファシズムや全体主義の出現を許した20世紀が直面した、大きな難問なのである。


2008年秋以降の世界金乳危機を経験してもなお、
市場ユートピアが支配する新自由主義時代を生きる現代人にとって、
70年も前に書かれたポランニーの著作がなおもアクチュアリティを持っているのは、
彼が経済的自由主義という考え方を徹底的に分析し、
その起源を歴史的に明らかにしたことにある。


ポランニーの思索は、人間の自由と文明の繁栄と平和が
市場経済秩序と解きがたく結びついていることを、
手を替え品を買えて主張することで生き延びてきた、
経済的自由主義の強靭な生命力を解明している。



新自由主義的コーポラティズムを行うグローバリストどもは、
「普通の人びとの生活を破壊し政治的民主主義を犠牲にしてでも、
市場システムの規律と機能を徹底させるべきだ」と主張して止まないし、
思考停止した彼らの奴隷たちがそれを強烈に支持する
この異様なファシズムの状況。



EUと米国で吹き荒れた現象が周回遅れでやってきて、
小泉改革で痛い目にあった日本人が再度騙されて、
安倍政権を支持しバリバリ構造改革をされ、
大阪ではハシシタ維新という基地外集団が暴れまわっている。


民営化・自由化・規制緩和・小さな政府論といった欺瞞に満ちた
これらの言葉に対して、強烈な拒絶反応を起こさないといけないはずだが、
それもまだまだ起きそうにない。


どこかの小さなデブの絶望社長のように
絶望が足りないんでありますー、とアホの一つ覚えのように
呟いて、安倍政権支持とはこれいかに・・・。


おそらく米国のようにズタボロになるまでいかないと
ちゃんとした対抗軸が生まれないように思う。


それまでには、公務員叩きや既得権益叩きに熱狂して、
スティグリッツの言う1%と99%の構図になってから
その反動としてのきちんとした対抗軸が生まれるのかもしれない。
内紛や内乱・紛争、下手をすれば戦争までいくのだろうか。



ハシシタ維新を調べてみるとかなりえげつないことをやっていて、
ナチスやソ連のレーニン・スターリン、支那共産党の文革、
ポルポトなどの手際をよく勉強して、実践しているなと実感した。


ファシストや全体主義者がやる手口はみなほとんど同じなのに
これに気付かず、手を貸す人々にはげんなり・・・。
ハシシタ維新とその背後やこれに投票したヤツは、
被選挙権・選挙権停止でいいんじゃないかな。
民主主義に参加する資格がない。


パクりまくるのは、「カール・ポランニーの経済学入門」
(若松みどり・平凡社新書)