「存在者とは何か、という問いは、存在者の存在を探求する。

一切の存在者は、ニーチェにとって生成である。



ただしこの生成は、意思の活動および活動性の性格をもつ。

そして意思とは、その本質において力への意思である。



力への意思というこの表現は、ニーチェが哲学の主導的問いを

問うとき思惟していたそのものを指している。



それゆえ、必然的にこの名称が、計画され、しかし

未完成に終わった主著の標題として考えられたのである。(略)」

(「ニーチェⅠ」、P19)



ハイデガーの生涯の問い、それが、ここに示されている。

そしてその問いを絶妙に絡ませることで、思索を行っている。



ハイデガーがこの講義と思索を行ったのは、

1961年5月、フライブルグにて、とあるので、

戦後の混乱期が収まってからだろう。



ニーチェは、神殺し(キリスト)を行い、その後、

人間(キリスト教者)という存在が、いかにあるべきか、

ここを軸に思索を行ったといってよい。



ハイデガーも、現象学の軸線上で、思索を進め、

上記の問いを出してきている。



彼らは、キリスト教まみれの中で、生まれ育ち、

その影響をまったく受けずに思考できたわけではない。



むしろ、矛盾に満ちた一神教、特に、多種多様な

宗派をもつ、いわばいい加減な、キリスト教があったがゆえに、

またその世界説明の矛盾さを、醜悪なカタチで露出し続けため、

現実世界の中で、反キリスト、から始めざるを得なかった。



ここが、日本人の思索者にとって、難解であるように感じる。

中世のヨーロッパ史と近現代史を、舐めるように、

直観しなければ、おそらく了解できない。



本来、日本人の思索者は、存在が、日本にあるので、

日本における了解とドイツにおける了解を混同している。



日本の学者どもから思索を始めると、

ドイツの哲学は理解できないし、

それどころか、近代哲学すらも理解できない。



これは、日本国内の哲学的思索を行う者に

ほぼ共通に見られる。



日本で生まれ育った日本人は、厳密に存在を問うことに、

喫緊の課題でもなく、その必要性もないため、

あまり興味をそそられるものではなくなった。



むしろ、戦前の方が、明治維新以降、

常に、ハイデガーの問いが、投げかけられていた。



しかし、そろそろ知的に怠惰である時期は、終わりを告げた。

現実世界のほうに、危機が差し迫ってきており、

日本人の現存在のあるを問う、これが要求されている。



ずれた、この章ではニーチェの経歴を

ハイデガーは綴っている。



ニーチェは、1844年、プロテスタントの牧師館に生まれた。

古典文献学学生として、ライプニッツにいたころ、

1865年にショーペンハウアーの主著

『意思と表象としての世界』に出会う。



また最終学期の11月に、リヒャルト・ヴァーグナーに出会う。

この両者との出会いが、ニーチェの精神を規定する力となった

とハイデガーは述べている。



1869年春、若干25歳でバーゼル大学の員外教授として

招聘される、卒業論文の提出もまだなのにである。



ここで、ヤーコプ・ブルクハルトと教会史家

オーヴァーベックと親しい交際をする。

バッハオーフェンとも知り合うが、形式的だった。



十年後、1879年に教授の職を辞す。

さらに十年後、1889年1月に、狂気の淵に沈み、

1900年8月25日息を引きとった。



彼が真の自己自身を、すなわち、一思索家として

自己自身を見出すのは、1880年から1883年にかけてで、

この時期に、「ツァラトゥストラ」の形姿を現す。


『ヴァーグナーの場合』

『ニーチェ対ヴァーグナー』

『偶像の黄昏』

『この人を見よ』といった小著


そして、1890年には『反キリスト者』

死後一年経ってようやく主著『力への意志』への

予備的仕事がはじめて編集出版される。



『(略)これらの断片の大部分は、けっして簡単な

中途半端な断片や粗略な覚え書きではなく、

入念に仕上げられた〈アフォリズム〉---



ニーチェの個々の覚え書きは普通そう呼ばれているーーである。

およそすべての短い覚え書きが、

そのままアフォリズムであるのではない。



アフォリズムとは、あらゆる非本質的なものを

まったく締め出し、ただ本質的なもののみを含んだ

ひとつの陳述、ないし箴言である。



あるときニーチェは言っている。私の野心は、

わずか数行のアフォリズムのなかに、

他の人が一冊の本をとおして言うことーー

いや、それでも言えないことを述べることである、と。(略)』

(「ニーチェⅠ」p23)



ハイデガーは、ニーチェの主建築は

『力への意思』だと断言する。



だからこの主建築を追うことが作業になる。

ただし、あまりに形而上学的作業が多く、

なるべく焼いていきたい。



われわれは、急いでいるのだ。



ぱくりたおしているのは、

「ニーチェⅠ」

(マルティン・ハイデガー 訳 薗田宗人 白水社)