街の哲学者として一現象学者として、

新しい憲法論議を原理的に考察してみたい。



まず、主権について考えてみる。

日本国の主権は、どこにあるのか、

天皇陛下か、国家か、国民か、その他か、

いづれにあるのだろうか。



哲学者として、みなが納得しうる「原理」は、

さしあたって、ルソーの原理にまで、戻らざるをえない。

また、自由の設定も必要であって、

マルクスの失敗を忘れてはいけない。




いろいろな憲法論議がさかんであるが、

つまるところ、ルソーの原理に基づいている。



ルソーの原理とは、一時、我々の自然権をいったん預ける、

そして、それは「合意」システムによる。



現実論だとか、理想論だとか、ごちゃごちゃになっているが、

実は、みな「合意」システムに基づいている。



我々の歴史のある十七条憲法には、

和をもってたっとしとなす、とある。



御成敗式目も、十七×三だ。

ほかに、バンキコウロンニケッスベシとある。



我々に歴史は、本質的に「合意」システムなのである。

つまり、想定し得ないような非常事態以外は、

「合意」システムでやってきたのだ。



だから、極度なマルクス教条主義者たちなどといった

急進的、先鋭的、かつ、日本の共同体システムを

脅かすものには、常に、冷ややかであった。



現在もそうであって、日本的な共同体システムを

大きく壊すような代物に関しては、私たち大衆に

信を置いて、かまわないだろう。



ルソーが提出した「合意」システムの原理は、

現代日本にとっても、得心の行く説明である。

(もちろん、諸先進国もそれにのっとっている)



ほとんどのみなが納得いくという原理に、

逆行する説明は、ありえない。



ということは、国民主権ということになる。

国民主権ならば、日本人によって構成される国家であるので、

同じ日本人同士の共通了解も、成立しやすい。



ただ、日本人同士の歴史認識の統一を図る必要性がある。

戦後、マルクス主義者ならびにマルクス教条主義者によって、

日本の歴史が、大きく改竄されてしまった。



それを元に戻す必要性は在る。

ややこしいように思われるかもしれないが、

実は、いたって簡単な作業である。



もう既に、GHQによって、焚書にされた書物も紐解かれつつある。

かつ、ネットの普及により、事実を知ってしまった

日本人が、どんどん増えている。



藤原正彦先生は、祖国愛という言葉を提案された。

人間という現存在は、生まれ育った地を愛する。



それは、ハイデガーの「情状性」を持ち出すまでもなく、

世界中に見られる現象である。



生まれ育った祖国である日本を愛さない

日本人は希少動物である。

この人々は、非常に限定される。



マルクス主義者か、マルクス教条主義者か、

ザイニチと呼ばれるごく一部の在日朝鮮人と、

被差別部落利権者とか

在日支那人ぐらいしかいない。



彼らは確かに存在するが、極少数であり、

「合意」システムの前には、無力である。



だから、基本路線として「合意」システムによって

立つことに、日本の場合は問題がない。

問題があるのは、マスメディアのほうである。

(法によって、複数性を担保させないといけない)



つまり、日本は国民主権にしてもまったく問題がない。

問題は、尋常ならざる事態が起きたときである。



例えば、議会制民主主義を採用したとして、

権力は、政府に委ねるが、その政府、

つまり、首相なり閣僚が、対応できない、

想定できない尋常ならざる事態である。



首相並びに閣僚が死んだときに、

一時的にだれに権力を掌握してもらうか、という問題になる。



日本の歴史に照らし合わせれば、常に、天皇家であった。

私たちの歴史は、天皇家と共にあり、天皇家がなくなれば、

日本という国家が、その意味を失う。



日本というアイデンティティは、つまるところ、天皇家にある。

天皇家がなくなれば、文字通り、日本がなくなる。

私たち日本人は、「神殺し」を行っていない唯一の民族かもしれない。



天皇家という物語を失えば、私たちは、

祖国を失ってしまうのである。

歴史を振り返れば、当たり前の話である。



だから、「合意」システムの前に、天皇家があり、

「合意」システムが、なんらかの機能不全に陥った場合、

天皇陛下にお出ましになってもらわないと、事態の収拾はつかなくなる。



ここまでくると、もう結論は出るだろう。

憲法改正できるとすれば、欽定憲法になる。



そうでなければ、想定できない事態に、私たち日本人が

遭遇した際、国家の呈をなさなくなる。



平時には、「合意」システム、

のっぴきならぬ事態になれば、「天皇」システムを

補完しておかねばならない。



天皇陛下並びに宮家には申し訳ないが、

あなたがたでないと、代替不可能なのである。

(もちろん、旧宮家にも戻ってももらわないといけない)



こうした原理的な思考によって、始めないと、

現行憲法の焼き直しになってしまい、日本人が作った

大日本帝国憲法に沿ったものではなくなってしまう。



もう一つ、言うべきことがある。

現行憲法には、法的根拠がなく、

仮にあったとすれば、大日本帝国憲法になるのだ。



最後に、私たち日本人にとって、もっとも最悪の事態は、

天皇家の物語を失ってしまうことなのである。