3月15日は、カエサルの命日だった。



毎年、この日をもって、いったんオレは死ぬ。

なぜなら、すべての受験が終わるからだ。



再生は、4月8日になる。

ここから、またこつこつと中間テストに向け、

照準を絞りつつ、受験の戦いに専念する。



何が問われ、何を問い返すのかは、

ある程度、きまった行事である。



そのある程度の学力と、それに見合った能力、

いや、それ以上の水準にも耐えうる能力を作るのが、

オレのアサイメントである。



あまりにも成績を上昇させすぎるオレは、

その上昇に見合ったサイズに、子供たちを

作り上げてゆく作業を必要とする。



そのためには、いったん死なないといけない。



一年間の戦いの中で、自分の中身を

がしがし削って行く作業をやり通すために、

自分を再構築しなければならないのである。



昨年は、スッラやマリウス、ポンペイウス、

そして、カエサルのお世話になった旅だった。



今年は、哲学書と数学、以外に、

誰のお世話になろうかと思案中。



それにしても、カエサルはすごい人だった。