連載小説:片翼の羽根【第一部第3章】② | Shionの日々詩音

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街はいつもと変わらず、少年たちを透明な存在として扱う。彼らのうち誰が来たとしても街は変わることはない。少年たちはこの国にとってその存在を認識することすら許されない存在であり、そこにいるということを忘れるよう強いられた者たちだ。

 

普段からあまりお喋りでないガイは街に足を踏み入れればその無口さに拍車がかかり、それを今、供にするロルフもまた自然と口数が少なくなった。二人は決して仲が悪いわけではないが、元々必要時以外あまり会話することもない組み合わせのため、街に入ってからはもう一言も口をきいていない。

勿論、街の中に彼らに話しかけようなどという者の存在があるはずもまたなく、彼らの口は一文字に閉ざされたままだ。止めても喋ることをやめないマインラートとエイヒムの組み合わせや、誰と一緒でも気を遣ってよく喋るテルマのいる時とは対照的な二人組だったと言えた。

 

-もしクラウスとガイくんの組み合わせだったら、呼吸することすら忘れちゃいそうだなぁ…

 

ロルフは隣で黙ったまま歩き続けるガイを見て苦笑した。

まだ肌寒い街の中、旧国立図書館の廃棄本から収集して来た本を肩から麻袋に入れてぶら下げ、二人は無言で歩を進めていた。

国立図書館にはこの国が経済破綻するよりずっと以前からの、この国で刊行されたほぼすべての蔵書が揃っている。災害で流されることもなく遺った貴重なその本たちも、紙の本自体にはもう資料的価値しか残されていない。図書館内の蔵書のすべては電子データ化されており、紙の本は資料として飾られているだけだったのを幼い頃から彼らは知っていた。だから、彼らはその時代遅れな紙の本を思う存分に持ち出し、幼い子供たちと自分たちの知識源とすることができていた。紙の本をめくるという行為自体が珍しくなったこともあり、幼い子供たちの中にはこの生活を始めて生まれて初めて紙の本をめくったという者も少なくない。

電気を引いてこられない彼らの生活の中では、どんなに便利であろうと電子データ化されたものに触れることは容易ではなかった。人間はいつの間にか、電気があることが当たり前となってしまった。

しかし、結局のところ、最後には現物に勝るものはない。陽が落ちれば眠り、日が明るいうちに活動する。そんな当たり前の生活をする彼らは、もしかしたら本当にこの国の誰よりも、いや現代社会においてこの世界中の誰よりも人間らしい生活を送っているのかもしれない。

 

「っ。ガイくん」

 

それまで黙っていたロルフが、ガイの二の腕を掴んで引き寄せる。ガイは急なことに驚いた風にロルフに振り返った。そして、ロルフと同じ方向、その視界に捉えたものに、鋭い視線を送りつけた。

 

「…ノエル」

 

街の入り口に、死神ノエル率いる親衛隊が立っていた。中心で薄い笑みを浮かべたノエル以外の兵士は、皆一様に口を真一文字に結び、まるでコピーして貼り付けたように同じ無表情でこちらを見据えている。

 

親衛隊と少年たちの間には暗黙の了解としての不可侵条約が敷かれていた。少なくともこれまでは、そうであったはずだ。

彼らの居住地区に親衛隊が足を踏み入れることはなかったし、街での物資調達という名の窃盗も見て見ぬ振りをされてきた。しかし、今彼らには、出自のわからぬ銃を持ち、革命を起こそうとしているという負い目がある。

何もバレてはいない、大丈夫だ、とアルノルトやジギスムントは言っているが、こうして親衛隊と対峙してしまうと、不安の色は隠せなくなる。目を合わすことができず、不自然な動作で落ち着きがなくなってしまうのだ。

 

「俺たちに用があるわけじゃ…ないと思う」

 

ロルフは呻くように声を出す。その気はなかったが、声を小さく絞っていた。

その通りしばらくの間睨み合っていたが、ノエルの合図で親衛隊はガイとロルフに背を向けた。二人はほっと胸を撫で下ろしたが、その背後にいたものを見て言葉を失う。

親衛隊は丁度、恐らくは明日の公開処刑の対象となる人物を連行するところであった。両手に枷を嵌められ、周囲に声を漏らさぬよう猿ぐつわまでかけられたその初老の老人の姿に、ロルフは自分の父親の姿を重ねて思わず目を逸らした。更に連行されるその老人の後ろ、ノエルに頭を下げながら何かを受け取る密告者らしき女の姿には吐き気すら催した。

ロルフの横にいるガイは拳を握りしめ、肩まで震わせてその憤りを抑えつけようとしていた。ガイは冷静そうに見えて、時に思いもよらぬ形でその怒りを爆発させてしまうことがある。ロルフは、その小刻みに震えている肩にそっと手を置き声をかける。

 

「ガイ君、落ち着けよ。頼むぞ、堪えてくれ」

 

今この時の親衛隊の標的が自分たちでなかったとしても、街中で問題を起こして見過ごしてくれる連中でないことは百も承知だった。

今は特に問題を起こすわけにはいかない。自分たちだけでなく、集落に残っているメンバー、幼い子供たちまで危険に晒すことになる。特に、親衛隊が彼らの家に踏み込み、あの武器が見つかってしまったとしたなら、不可侵条約など完全に反故にされてしまうだろう。ガイは唸るように喉から声を絞り出した。

 

「わかってる…わかってるよ」

 

国を変えようと思ったところで、革命を夢見たところで。今の彼らが何か行動を起こすことなどできるはずもない。アルノルトが何を考え、何をしようとしているのかすら、彼らはまだ聞かされていない。今はこうして、罪のない国民が目の前で死神に連行されていくのを、指をくわえて見ていることしかできないのだ。

 

密告者の女が小走りに離れ、親衛隊は整列した。あとはこのまま彼らが行き過ぎるのを待てば良い。ガイの肩を強く抑え、ロルフは胸を撫で下ろした。

 

「お前たち、ここで待て」

 

ノエルの声が響いた。低く、冷たいその声は、離れたところにいる二人の所にも真っ直ぐに届いてくる。そして、ノエルはゆっくりと足を踏み鳴らし、ガイとロルフへと近づいてきた。

無意識のうちに、ロルフは自分の鼓動が早くなっているのを感じた。

 

-なんで、なんで近づいてくるんだ。

 

街の人間も親衛隊も、彼らには目もくれることがない。透明な存在であり、路傍の石ころのように扱われる。しかし、だからこそ彼らは安全だったのだとも言える。触れられず、守られない存在。しかしだからこそ、攻撃を受けることもない。ノエルが地面を踏みしめる音が、耳の奥までやけに響く。

 

-やめろ、来るな、こっちに来るな…

 

口から心臓が出てきそうなほどに鼓動が早くなっていた。自分はこんなにも、この死神を恐れていたのだろうか。

死神はゆっくりと二人の傍へと寄ってきた。思えばこんなに近くでノエルと対峙したことなど今までなかった。冷たい表情からはその年齢を推し量ることが難しかったが、ロルフが思っていたより年若く見える。

ロルフの前に立っていたガイと肩がほぼ触れ合うほどの位置に来た時、ノエルは素早い動作で腰の剣を抜いた。瞬時にガイとロルフも身構えたが、ノエルの動きは二人とは比べものにならぬほど俊敏だった。息を飲み込む時間も与えず、ノエルの剣はガイの足元、その足先からほんの1センチほども離れない位置に咲いていた花を刈り取った。

 

「ふん」

 

ノエルは小さく鼻を鳴らし、剣の切っ先から花を手に取った。みすぼらしい、小さな花だった。

 

「雑草だが、その男への手向けだ。胸に挿してやれ」

 

ガイとロルフには一瞥もくれずに、ノエルは親衛隊の列へと戻っていく。ノエル以外、その場にいる者は誰も、何も喋らない。

二人は呼吸すら忘れたまま、その場に立ち尽くしていた。ガイは今や肩だけでなく、その全身が大きく震えていた。元々細いその目を更に鋭く尖らせ、ノエルを睨みつけていた。ロルフは慌ててガイの体を羽交い締めにし、口を手で塞いだ。

 

「頼む、抑えてくれガイくん。頼む」

 

ロルフ自身、恐怖で体は震えていたが、力を込めて何とかそれだけを言った。このままやり過ごすしかなかった。今、あの死神は間違いなく二人を挑発したのだ。しかし、それに乗せられてしまえば、次にあの剣が刈り取るのは花ではないだろう。

恐ろしかった。ガイを抑えつける手も、地面を踏みしめる足も、すべてが震えていた。圧倒的な威圧感と恐怖を、あの死神はたった今、数秒の間に与えてくれた。

 

-こんな、こんな奴と…

 

隊へと戻るノエルの背中を見送りながら、ロルフは思う。

 

-戦えるのか?俺たちは…

 

枷をはめられた国家の反逆者の胸に花を挿しながら、ノエルは冷たい声で、さも愉快な風に喋り出す。

 

「雑草を刈るのは容易だ。こうして剣を滑らせれば良い」

 

ノエルの目は、今度こそ、ロルフとガイを真っ直ぐに見据えていた。

 

「殺伐とした戦場でも、花を愛でることくらいは出来なくてはな」

 

その言葉は間違いなく、透明な存在であるはずの二人に向けられていた。

 

「流れた血もやがて花を育てる。犠牲の上に成り立つ平和もある。この国を、我々は守らねばならん」

 

ノエルの率いた兵士たちはその言葉に合わせて敬礼し、そして反逆者を連れて去って行った。ロルフとガイは、その背中を見送る。

二人とも、何も言わなかった。今起こったことの意味も理解できていなかった。ノエルと接触を持った。それがこの先の自分たちに何をもたらすのか、今はまだその意味が理解できなかった。

ただ、そのノエルたち親衛隊が去って行った方向、高くそびえる第三の塔を見つめるガイの目が、ロルフは気になっていた。憤怒を抑え、唇を噛み締めたその瞳には、しかしそれだけではない何かが宿っているように見えた。悔しさや、哀しみ。怒りだけではない、何かもっと違った感情が入り交じった、何とも言い難い表情で、ガイはその場に立ち尽くしていた。ロルフはそんなガイに掛けるべき声が見つからず、やはりその場に立ち尽くしていることしかできなかった。

結局二人がその場を後にしたのは、それから一時間以上も経ってからだった。帰りの道中は二人ともやはり一言も発さず、無言のままに集落へと向かった。

 

 

to be continued...